忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

沖縄と米兵とホワイトクリーム

2012年12月14日 | 過去記事



若いころ2度沖縄に行った。1度目は18歳くらい。たしか、まだアルバイトだったが連れて行ってくれた。2度目はその2~3年後。共に社の慰安旅行だった。1度目はどこかの島まで船で行った。海がこんなに綺麗だとは知らなかった、とか感動してお仕舞い。金もないからずっと海で遊んでいただけだったが、2度目は社長から空港で小遣いをもらった。

数万円入っていたから、これで飲みに行けるし、いくらか残して帰ろう、子供のミルク代に、とか消極的な若いパパだった。夜、日焼けした顔が集まって宴会があった。2次会にも引っ張り倒され、カラオケを歌い泡盛とかたっぷり飲んだ。飲まされるのだった。

それからみんな「国際通り」に行くという。「お約束」の風俗だ。近くに「辻」とか場末の歓楽街もある。私が丁重にお断りすると、社長は「小遣いあるだろ」とか凄んでくる。若い私は「ちょっと飲み過ぎて、アレなので」とか言い訳して許しを乞う。それから部屋に戻ったふり、みんなが出払ったのを確認して、ひとりタクシーに飛び乗り、国際通りの居酒屋を目指そうとすると、うしろから声をかけられる。

しまった、社長の手の者か。はっと振り返ると、同じ年くらいの先輩社員さんだった。男前の兄ちゃんだ。これが「オレもぶっち(逃げた)した」とか笑ってる。意気投合して一緒に飲もう、となる。私は「夏こそおでん」とか言いながら、味のありそうな店を探した。

BARは避けた。前回の経験から米兵が屯しているのは知っていたからだ。怖くはないが、あまり嬉しいモノでもないから、あいつらが来そうにない店を探したら赤提灯があった。もちろん、若いとは浅はかなモノだ。店の中は彼らでいっぱいだった。

しかし、こっちも相当、酒なら入っている。怯むわけにもいかない。それにまあ、せっかくだし、ということで席を詰めてもらった。屈強な黒人が「そーりー」とかで譲ってくれた席に座り、また泡盛をあおっていた。ところで米兵は何を飲んでいるのか、と気になって覗くと先ずビール。それからナニかの炭酸割り。向こうも気になるようで、目が合うとグラスを持ち上げたりしたら、すぐに仲良くなった。片言の日本語とカタカナの英単語、メインはジェスチャーだが、これがまた、酔っていると面白く、盛り上がった。

BARに行こうと誘われる。私が快諾していると、うしろから「おいおい」と男前が案じている。私はイザとなったら男前を生贄にして逃げるつもりだったから、大丈夫だから、と根拠無い自信を見せた。掘られるならキミだ、と心の中でつぶやいた。

数人だった米兵は3人になっていた。BARでは静かに飲んだ。たぶん、どこから来たのか聞いていると思しきやり取りがあったから、私が「オオサカ」と言うと「OOSAKA!!」だった。「イッタコトアリマス」。

それから「タコヤキ」とか「ナンデヤネン」を言って笑った。日本人の女の子とか、客が増えてきたから、しばらくして店を出た。米兵の太い腕に巻き付いていた女の子は見苦しかった。仲良くなった黒人兵士と別れ際、彼は右手が潰れるかと思うほどの握手をしてきた。愛嬌のある外人だった。男前ともう一軒、沖縄の夜をさらっと〆てタクシーで帰った。

次の日の朝、目覚めると頭が割れていた。二日酔いだ。みんなは「釣りに行く」とか、ハイテンションだったが、私はまた「勘弁してください」となった。おまえは集団行動とかどうなのか、と旅先で説教されてからベッドに戻った。

昼過ぎに酒が抜けた。私は昨日の男前も二日酔いに違いないと思い、部屋に連絡すると、やっぱりいた。ホテルのプールで待ち合わせした。そこで寝直そうということになった。

しばらくすると、彼が来た。プールサイドで「オリオンビール」を飲んでいる私に呆れながら、胃が痛い、とか情けないことを言った。とはいえ、他にやることもなく、私の隣に転がった。ヒマヒマいう彼に私は、沖縄の心地よい日差しの中のんびりする、これが休暇というモノだョキミ、とか偉そうに言っていた。

すると、そこにビーチボールが飛んできた。私の腹を直撃して跳ね返った。体を起こすと女の子がプールサイドから上がってくるところだった。

男前の顔色が変わる。見ればもうひとり、プールの中からこちらをみている。これも女の子だ。ビーチボールを拾った男前は「ふたりで来てるの?」とかやりだした。私がまた寝転がると、おまえなにやってんだ、と合図してきた。行くぞと。

プールでビーチボールさせられた。それから「お腹空かない?」とか、もはや、彼のペースだった。彼は「ともかく退屈させない」のが肝要だと言う。だから次々に「遊び」を提案する。よくまあ、そんな瞬間にいろいろと思いつくものだと感心した。その発想力を仕事に活かせばいいのに、とか思った。

二人は東京から来た保母さんだった。20代半ばのちょっとお姉さんだ。「念願だった沖縄にやっと来た」とかで盛り上がっていた。ああ、そう、それじゃあ、と立ち去る私だったが、男前は「パターゴルフしよう」と言い出す。いったん解散して2時間後、またここで、とか勝手に決める。

おい、オレは嫁がいるんだぞ、もう行かないぞ、と言うと「居酒屋奢るから」と誘惑してくる。もちろん、費用は全部出すから、とか「逃してたまるか」という決意すら感じた。私は勢いに気圧されて了承した。それから人生でいくつかあった、忘れられないほどのクソ詰まらない時間を無駄に過ごした。パターゴルフで遊んでから、また、国際通り。馬鹿丸出しの服や小物を一緒に見て、ようやく居酒屋に到着。せっかくの沖縄、私の機嫌はそろそろ悪くなってくる。心の中では「昨日の黒人」を探してすらいた。へるぷみーである。

居酒屋でそこそこ飲むと、次はカラオケに行く。酒が効いた素人女がホステスの真似事をし始める。男前はキメどころを知る。さて、そんじゃ部屋で飲み直そう、と言い出す。途中で買い出し、ホテルに戻って「彼女らの部屋」に行く。部屋に向かう途中、社の人間とすれ違う。「今日、釣れました?」のあと、男前は「こっちは釣れました」。

男前は「酒飲んでたらいいから」とかで引っ張る。部屋はツインルームだった。テキトーに馬鹿話をしながら飲んでいたら、そろそろ怪しくなってくる。男前はベッドに座って、隣には女の子が寄り添い、なにやらごにょごにょと話している。合図はないが、頃合いだ。私はもうひとりのほうの女の子を誘って「ちょっとビールとか買ってくる」と部屋を出る。

コレで御役目御免だ。あとは私の自由にして良いはずだ。とはいえ、2時間くらいはこの女を部屋に戻すわけにはいかない。あ、そうだ、と思いつき、私はその女とタクシーに乗った。昨日のBARに行こう。

女の子はどこに行くのかわからず、ちょっと不安な表情を浮かべながら「まだ飲むの?」とか聞いてきた。うん、BARに行く、と告げると困った顔をしていたが、2時間だけ付き合ってくれと頼むと、合点がいったのか警戒心を解いた。

バーボンをストレートで飲み干し、それから「ああいうことってよくあるの?」とか聞いてみる。要領を得ない表情をしていたから、はっきりと「ナンパ」と言った。「うん、まあ」―――ふうん、みたいな退屈男だった。それから何も話すことがないから黙って飲んでいると、木製の重いドアが開いて米兵が何人か来た。すぐにわかった。黒人の彼がいた。おーおー!!と言いながら抱き合い、それからまた、おーおー!と言った。それしかコミュニケーションの術がなかった。

黒人が「カノジョ?」と問うてきたから、笑ってのーのー、違うと言った。黒人は私の隣、カウンターに座って同じくバーボンを喰らった。何をどう話していたのか忘れたが、なんとなく、楽しく飲んでいた。女の子は退屈そうだった。すると、ボックス席にいた白人の一人が来た。女の子に何やら話しかけていた。目が合った私に「カノジョ?」とかまた問うてきたから、私もまたのーのー、違うよと笑った。

どうやら「こっちに来て一緒に飲もう」と誘われていた。ボックス席には米兵が数人。東京から来た保母さんには、ちょっと冒険が過ぎるから、本人も断っていた。もちろん、本人がイエローキャブよろしく、尻尾を振って米兵の腕に巻き付くなら放ってもおくが、どうやら彼女は迷惑そうだった。困っていた。

私もそろそろ気になり出す。日本語で「なぁ、あっち行けや」と声をかけたりした。しばらくして、私が黒人のほうを向いて飲んでいると、後ろの席から歓声、それから爆笑が起った。みると彼女は振り返りながら驚いた表情を浮かべていた。



どうした?

「・・・!・・抱きつかれた」―――



私は席を立ち、後ろを睨みつけた。黒人が私に触ったから手を払いのけた。私は手の届くところに洋酒の瓶、それからソーダーの缶があるのを確認していた。瓶は鈍器にも刃物にもなるし、中身の入った缶を縦に持ち、ふりかぶって顔面を殴れば一撃で致命傷になる。それからあとのことはそのとき考える。

すると、ボックス席のひとり、白人が真顔で立った。相手は兵士でこの人数、これはもう怪我では済まない、もしかすると、私は五体満足で大阪に帰れないかも、とちょっとだけ覚悟もした。でも、絶対にひとりは殺してやる、そのバタ臭い顔にソーダーの缶を埋めてやる、と殺意を湧き上がらせて恐怖を消した。

瞬間、黒人が何か叫んだ。立ち上がっていた白人は黒人を見た。続けて黒人は静かになにか短く話し、もういちど私の肩に手をかけて力を込めて座らせた。すごい力だった。黒人は私のグラスにバーボンを注ぎ、自分にも足した。それからテーブルに置いたままの私のグラスにカチンとぶつけ、それを一気に飲み干した。私も続いてグラスを空け、それから席を立った。たぶん、黒人はその中のリーダー、というか上官だった。

タクシーに乗った私は「助かった・・・」と溜息を吐いた。隣の彼女は黙っていた。そして「悪かった」と詫びた。自分が連れて行った店で嫌な思い、怖い思いをさせてしまった、と謝ると何も言わずに腕に巻きついてきた。2~3本飲んだバーボンでおかしくなった鼻にふわっと髪が匂った。ちょっと理性の分が悪くなった。


何年か経った結婚式場。新郎は「男前くん」。新婦はビーチボールを拾いに来た彼女だった。あれからしばらく、彼女は東京から大阪までランデブー、浪速の地で保育園に勤めながら同棲を始めたとか。相変わらずの私は披露宴で「Ellie My Love」を生ピアノ演奏で歌わされた。なぜだか評判がよろしく、社の同僚の結婚式は必ず、コレをやられたのであった。社長の息子の式でも断れずに歌わされた。恥ずかしかった。

歌い終わって会場を出る。嗚呼、恥ずかしかったとトイレに行って、すぐに戻る気にもなれず、通路でセブンスターを吸っていると、薄れていた記憶の中にある懐かしい顔が出てきた。古くからの「新婦の友人」という女性だった。よお、という軽い挨拶をする。

「まさか、結婚するとわ・・・ww」
「本当・・・・ww」

「2次会は・・・・?」
「うん。行かない。店に戻らないと」

「あ、そう。それじゃ、バーボン飲みすぎたらダメよ」
「はははは・・・んじゃ」




店に戻ると付き合い出したばかりの妻がいた。今の「おかしゃん」だ。当時はまだ、私のことを「店長」と呼んでいた。理由は私が店長だったからだ。

「店長、午前中のアレはコレで、こうしときました」とか報告があって、それから「ンで、そういうことで行ってきます」と商品を取りに行った。妻はその頃、小さな体で大きなトラックを運転していた。それじゃあ、気をつけて・・・と言いかけたとき、妻の冷静、且つ、冷淡な目に気付いた。それから小さな声で、

「ナニ、にやけてんの?」

と耳元で囁かれた。


私はナニも疾しいことはなかったのだが、なぜだかコーヒー吹いた。男性諸君、オンナは怖い。女というのはなんか知らんが、なんでも知っている。だから私は今日も明日も天網恢恢、清く正しく慎ましく、太い体で細々と頑張っているのである。もちろん、クリスマスケーキはちゃんと「すちっち」を用意した。ホワイトクリームだ。



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