我ら夫婦は人並みに子育ても経験したし、いまは孫も二人いるから知っているが、子供には「なぜなぜ期」といううっとうしい時期がある。つまり、なんでも「あれはどうして?」「これはなに?」「だれがきめたの?」とか出来の悪い野党議員みたいな時期がある。実にうっとうしい。
もちろん、相手は子供だから出来の悪い野党議員と同じく、事前に質問主意書も出さないし「ちゃんと調べてから質問しなさい」も言っちゃだめだということだ。持ち出してくるのも「絵本」か「週刊誌」の差異くらいだが、それ、絵本に書いてあること、そのまま聞いてますよね、質問するんなら自分で調べてから質問してくださいよ、など下手な対応をすると、出来の悪い野党議員と同じレベルで、わーわーぎゃーぎゃー騒ぐから気をつけたい。
「子育てのプロ」によると、出来の悪い野党議員はともかく、子供相手に「しらない」とあっさり返すのはよろしくない、とのことだ。ちゃんと対応して子供の好奇心を育むことで思考力に発達が見られるという。模範的な対処法は「一緒に調べる」とのことだ。そろそろ耳が痛くなってくるが、例えば東大阪の下町で「おい、なんで象の鼻は長いねん?」と子供が問うとする。周囲の大人は「それはね、かあさんも長いのよ」とか優しく教えない。
先ず、大喜利が始まる。和田アッコが引っ張ったとか、京唄子が吸い込んだとか、島木譲二が空腹時に少しずつ喰うとかやっていると、そこに「実はアレはな」と十分にためて、子供の興味を引き付けてから「鼻やないんや。誰にも言うなよ」と幼気な子供に驚愕を与える。当然、子供は狼狽えてから「じゃあ、なんなん?」となるが、あとは察しの通りだ。大阪のおっさん、おばはんは相手が10歳未満なら下ネタが鉄板だと知っている。シュールはいらない。
こうして鍛えられて「面白い大阪人」は大量生産される。稀に「面白くない」のがいれば、周囲の大人に恵まれなかった結果だから、憐れんであげてほしい。ウーマンの村本とか、らっすんごれらいとか。涙なくして見れない(個人の本音のところの感想です)。
また子供には「なぜなぜ期」の前に「イヤイヤ期」もある。なんでもイヤイヤ、つまり、なんでも反対の出来の悪い野党議員のような状態だ。
これの対処法はともかく、要するに「幼稚園行きましょうね」にイヤイヤ。「お昼寝しましょう」イヤイヤ。「野菜も食べましょう」イヤイヤ、だ。これも多くの親が降参するやつだ。無論、言うまでもなく、ここに理屈は通じない。相手は「イヤだからイヤ」という完璧な理論武装を行い、しかも「幼児である」という客観的事実から「弱者」という最強のポジションを確保している。勝てるはずがないのだ。だから親などは困るしかない。可愛いし。
もちろん、可愛いと言えば出来の悪い野党議員も負けてはいない。「はい、法案審議しますよー」イヤイヤ。「みんなで採決しましょうねー」イヤイヤ。嗚呼、可愛い。
志位くん?そんな憲法9条とかあっても、ロシア軍は攻めてくるでしょう?非核三原則、そんなこと言ってるのは世界でも日本とウクライナだけだったでしょう、日本がウクライナみたいになったらイヤでしょう?そうなったらどうするの?みんな困るでしょ?お話すればわかってくれるなんてないの、わかるかな?わかんない??ンもう、困ったな、あれ?清美ちゃん!あなたは入ってきちゃダメ!!待機児童みたいなもんなんだから、埼玉とかでバカなことやってないで、ちゃんと大阪の高槻で「次」を待ちなさい!ちゃんと「へこたれる」のも大事なことよ!なんでもかんでも「へこたれへん」はどうかと思うわよ!
ほら、ちゃんと可愛い。
また、可愛いと言えばフェミニストだ。今回の騒ぎも実に可愛い。私なんかはもう、男尊女卑が酒飲んでるようなもんだから、こういう「男の言い訳、女の屁理屈」みたいなのに触れたら愛くるしく思う。頭でもナデナデしながら、ったく、お前はバカだな、ほら、怒ってないでこっちこいよ、とか挑発したくなる。だって「名探偵コナン」である。じっちゃんの名にはかけるのに、なぜにばっちゃんの名にはかけないのか、まさか、ばっちゃんには名もないというつもりか、と持続可能的に問題ではないのかと心配になる。
記事では「理想の花嫁」はけしからん、とフェミから叱られて、ビビった運営が公式に「企画名と内容について運営側で再協議し、適切な内容に変更致します」と平謝り、実際に「ハロウィンの花嫁」に変更したとのことだ。当たり前のことだが「花嫁」が許されているということだから、たぶん、この「理想の」が癇に障ったんだろう。しかし「花嫁修業」とか気にならないのか。なんでオトコと結婚するだけのこと、女だけが「修行」を強いられるのか、と持続可能的に食ってかかるべきだ。つまり、花嫁もダメ。そもそも「婿・嫁」という概念自体が旧家族主義の差別的な歴史が含意されている。だから映画のタイトルは「名探偵コナン・ハロウィンの・・・」いや、マテ。
「ハロウィン」はどうか。ハロウィンと言えば、白人が先住民の衣装を模して問題になったこともある。アジア人の「吊り目」を馬鹿にするために「目をセロハンテープで貼る」という悪習も一部あったと記憶する。つまり、ハロウィンとは恐るべき差別感情を伝統的祭りで糊塗する催しじゃないか。これは持続可能的に問題あり、と判断するのがよろしかろう。それならCO2も逮捕者も出るしゴミも出るし、やらないほうがいい。だから「ハロウィン」も取る。
すると、タイトルは「名探偵コナン・にんげん」になる。ずいぶんとすっきりした。これならフェミも文句はないだろう。いや、マテ。「名探偵」は優劣主義に陥った競争原理社会の悪弊を生む可能性が持続的だ。「名」は止めておこう。とはいえ「探偵」もどうか。職業に貴賤はないが、なんか「探偵」といえば「浮気調査」のイメージもある。
そもそも「浮気」とか「不倫」というのはどうか。上野千鶴子先生はなんのために「性の自己決定権」を説かれているのか。先生は「したいときにしたい相手とセックスする自由を」と唱えられている。経済同友会の奥谷禮子代表幹事との対談本で「結婚とセックスが分離した効果」として「シングルの女性がボーイフレンドにする相手に既婚か非婚かを差別する必要がなくなった」とも言っておられる。つまるところ、ヒトは好き勝手にそこらの原っぱで交尾する自由がある。そこに「相手が既婚なら民法上の不法行為じゃないか。損害賠償責任を負う可能性もある」などというのは、モテない右翼男の僻みだ。極右だ。ネトウヨだ。大日本帝国主義者だ。
そう。まるでアベだ。それに「探偵→調査→スパイ」みたいな連想ゲームで「スパイ防止法」が盛り上がると本末転倒だ。危ない危ない。こんなところにも「アベの罠」が仕掛けられているとは気をつけたい。
タイトルは更にシンプルになるが、それはもう、このご時世、諦めてもらう他ない。つまり、こうなる。
「コナン・にんげん」だ。
いや、マテ。「コナン」という固有名を冠するというのは、個人崇拝につながらないか。これがいつしか自公政権の陰謀によって「アベ」に置き換えられる可能性は持続可能だろう。それに「コナン」の苗字は江戸川だ。モデルとなった小説家はあの「江戸川乱歩」だ。江戸川乱歩の小説「二銭銅貨」に出てくる「紳士強盗」が工場の給料日、金を盗むときに名乗ったのは「朝日新聞記者」だ。いまさらながら、大作家の先見の明には恐れ入るが、これは朝日新聞を蛇蝎の如く嫌う右翼分子を喜ばせるだけだ。
ならば仕方がない。この際だから「コナン」も控えたほうがいい。となれば、タイトルは、だ。
「にんげん」
となる。どうだ、この「いらないもの」をすべてこそぎ落としたような晴れやかさは。まさに最低限の必要性を重視する持続可能的に美しい仕上がりだ。せっかくだから、ちょっと著作権侵害も兼ねて貼ってみよう。
劇場版「にんげん」 4月15日公開
・・・・・。
ちょっと寝てくる。