忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

ケジメがないとシメシがつかん

2008年12月01日 | 過去記事
書いておかねばなるまい。

http://mytown.asahi.com/saitama/news.php?k_id=11000000811280001
<比国人一家 「不安ぬぐえぬ」 >


何度も書いたが、私は在日3世である。国籍は「韓国」となっている。まだ、「祖国」には行ったことがないし、行く予定もないし、行きたくもない。

そして、「特別永住者」という扱いになっている。過日の台湾旅行でも、日本国籍である虹の会の会長たちとなんらかわらぬ流れで出国も入国もできた。面倒なのは「再入国許可証」を南港まで取りに行かねばならないということくらいであった。読めないパスポートに発音できない本名が書いてあるから不安ではあったが、まあ、なんとかなるもんだ。そして、未だに、「自分の名前」をちゃんと発音できないと思う(笑)。ま、どうでもいいが。


で、結論から言うと、子供はかわいそうだと思う。



しかし、それだけだ。


即刻の国外退去が妥当であろう。当然だ。





でも、こう書くと、だ。


どこからか、

「なんだと?自分の先祖は密入国でものうのうと暮らして、フィリピン人には国外退去させろというか?なんという手前勝手な考え方か。自分は特別永住者だから問題なく、この哀れなフィリピン少女には、未だ見ぬフィリピンに強制的に送り返すというのか。なんという非情なキムチ思考なのか。自分は日本でぬくぬくとしながら、他の外国人はどうでも言いと抜かすのか!!」

と聞こえてくるようなこないような・・・


ま、ともかく、


そうですが、なにか?


と言っておく。うぇーはっはっはっは!!


<一家そろって年を越せることになるが、アランさんとサラさんは「在留特別許可が正式に出ていない以上、不安感はぬぐえない」と口をそろえる。学校で「結果を緊張して待っていた」という長女のり子さん(13)は「少しホッとしたけど、素直に喜べる気持ちからは遠い」と話した。
 
「ずっと日本でという娘の思いをかなえたい。教育を受ける権利、生きる権利を与えてほしい」とアランさん。一家は同日夜、「支えてくれる人々に感謝しながら、もっと多くの人に理解してもらう努力をしよう」と話し合った。>



しかし、アレだな。偽造パスポートで、よくぞまあ、最近までバレなかったもんだな。しかも、娘は学校に通ってるわけだ。戸籍とかどうしたんだろう・・?「かわいそう」とか言う前に、ちゃんと調べたほうがいいんぢゃないか?そして、確実に、


もっといる。


ンなもん、このまま日本の法務省が「人権」とか「人道」などといっておれば、日本の国民がどえらい目に遭う。比して、不法滞在している不良外国人には吉報である。これを「特例」とか「例外」にさせまいと、アチコチで運動が沸き起こるだろう。目に浮かぶ。


そして、それを支援する政党やカルト宗教、団体や知識人などの顔も浮かぶではないか。「お涙頂戴」よろしく、臭い芝居がかったテレビは増えるだろう。情にもろくてお人好しな日本人からは「まあ、いいぢゃないか。納税してるし、ちゃんと暮らしているんならば。」という声が上がることになるだろう。凶悪犯罪を行う不良外国人とは峻別せねばならないという論調が闊歩することになろう。あくまでも「人権重視」&「人道的見地」から判断せねばならないとするだろう。で、反対する者にはレッテルを貼付する、いつものやり口だ。



それにしても、なにが<教育を受ける権利、生きる権利を与えてほしい>だ。フィリピンでも生きている人はいるとあれほど・・・


そりゃ、不便なのはしゃーない。そして、それらは、すべからく親の責任ではないか。日本の国が悪いわけでもなかろう。娘が「日本で暮らしたい」と言うならば、近い将来、親としてなんとかしてやればいい。日本語ペラペラなんだから(当たり前)、向こうで言葉を必死に覚えればよろしい。日本語の教師とかにもなれるぢゃないか。で、ちゃんと日本にくればいいだけの話である。そうやって苦労した娘はリッパになると思うぞ?

私なら迷わずそうするがな。






と、まあ、エラそうに言う私も、だ。


普段から「外国人」だと自覚して生きているわけではない。



「あ、そうだ、私は外国人だたよ!あにょはせ!」と自覚するのは、然るべき時、然るべき場所だけだ。当たり前だが、頭の中は日本語で考えるし、冗談を言うときも、会議でびしっとキメるときも、店長の悪口を言うときも、妻を口説くときも、日本語だ(笑)。


しかし、だ。


「でも」「なぜ」「どうして」はない。


しゃーないぢゃないか。生まれたときからそうなんだから。



そして、大人になって考える。で、私は日本を愛しているから日本人になると決めただけだ。心の中は日本人のつもりだが、だからといって国籍まではそうはいかん。そのくらいは、阿呆な私でも理解できる。だから、万が一、日本の国籍法が変わるか、何らかの理由で、この愛する日本から「出てけ」と言われたら、いつでも出て行く。で、すぐに帰ってくる(笑)。ただいまぁ!



秩序を乱してまで自己都合を通すつもりはない。それが理不尽なものであってもだ。先ずは従う。それが最低限の公共心ではないか。

そして、思うところがあれば、そこから発言するかもしれない。それは私の主観であり、主張となろう。私が何をどう思い、どう感じて、どう考えるかは私の自由である。つまり、「人権」とか「人道」という人類普遍の価値感の話は、そこからなのである。



先ずは、厳然たるルールがある。権利もヘチマも「それを護ってから」だ。明確なルール破りをしておいて、それを咎められると「生きる権利」だの「教育の権利」だのと抜かすほうが道理に外れているわけだ。甘えるなと言いたい。



ちなみに、私のオカンは未だに指紋押捺の時期が来るとうるさかった。私が失念して強制送還されるとでも思っているのだろう。必ず、電話がかかったもんだ。


そういえば昔、外国人登録証名称の切り替えを、期限ギリギリまで放っておいたことがあり、葉書で催促されたことがあった。その際、妻に「おとしゃんは、強制送還されることになったよ・・・さよなら・・・元気でね・・・」とやったら、半端なく大泣きしたかと思ったら、すぐに「どうすれば免れるのか」を調べ始めたので慌てて謝ったことがある(笑)



まあ、それも「差別スミダ!!差別ニダ!!」と騒ぐ連中のお陰でなくなった。

登録証の切り替えも期限がぐんっと伸びた。でも、別に喜んではいない。差別がなくなったぁ!とか思ってはいない。というか、私は区別はともかく、差別された覚えがないのでわからない。今も昔も、公的な機関などではちゃんと本名を書くし、くだらんことで差別ニダ!とか言わない。ちゃんと外国人しているのだ。善良な在日だな。うむ。





この不法入国のフィリピン人の親は、子供に署名させているヒマがあったら「向こうの言葉」でも教えたほうがいい。同時に向こうで仕事を探すことだ。それが親だ。

心優しき友人達は、この少女に対して「再会の約束」をしてあげなさい。

手紙を書くと言ってあげなさい。今ならメールもあるし、携帯もある。小遣いを集めて「餞別」として渡してあげなさい。写真を交換するとか、あと、お守りとか、アクセサリーなんかもいいぞ。「想い出」や「友情」にこそ国籍は無いのだ。

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