忘憂之物

男はいかに丸くとも、角を持たねばならぬ
             渋沢栄一

マッカーサーの使い方

2012年01月05日 | 過去記事

「金正日総書記死去を受けた平壌市内の様子です」とテレビがやる。映像には地面を叩いて泣く北朝鮮人民がいる。職場でも流れていたから、その様子を不気味がる人、笑う人もいた。アレは嘘泣きでしょう?と私に尋ねてくる人もいた。それは嘘で固めたような国だから、泣くくらいのウソはどうってことない。それに朝鮮には「泣き女」という伝統もある。舐めちゃいけない。しかも、後ろで朝鮮人民軍内務軍、いわゆる「爆風軍団」が見張っているから、大袈裟に泣かないと政治犯収容所に送られるから必死だ。

日本人に限らず、平壌のあの様子を笑い飛ばす、嘘泣きじゃないか、と馬鹿にすることができる国の人々からすれば、かつてダグラス・マッカーサーが書いた恥ずかしい「回顧録」に出てくる「沿道では20万人の日本人が見送り、中には泣き伏す者もいた~」という件も、それはマッカーサーの嘘か、もしくは嘘泣きか、あるいは「嬉し泣き」だったんじゃないかと察することができる。マッカーサーが自分で「彼らは私を慕い、尊敬していた」と書くことのバカバカしさ、恥ずかしさを理解出来る。自分で言わない分、金正日がマシかもしれない。

回顧録には米兵がソ連兵とは違い「高いモラルを示した」と自分で書くマッカーサーは先ず、厚木基地に降りたあとソ連兵のように「女を出せ」とやった。日本政府は慌てて米軍専用の慰安所を作ったが、それでも米兵のレイプ事件は2万件もあった。しかし、これは原爆投下や非戦闘員しかいない都市への無差別爆撃などと同じように解釈すると「米兵はモラルが高かったから2万件で済んだ」と解釈せねばならないかもしれない。ソ連兵だとこんなものじゃないぞと。過ちは繰り返しませぬから、と。しかし、まあ、ひと先ずは納得する他ない。ソ連兵なら倍の被害はあったかもしれない、とアメリカを持ち上げておく。

また、これを理解できなかったのか、単に馬鹿にしたのか知らないが、ジョン・ダワ―はそのまま新聞に書いた。「あれほど荒れ狂った自殺特攻もなく、GHQに対するテロも一度もなかった。それはマッカーサーのカリスマ性と米軍兵士の高い道徳性があったからだ」とのことだが、今も昔も「米兵に道徳心がある」などと思っているのはアメリカ人でも多くない。その当時、先帝陛下になにかあってみろ、ジョン・ダワ―も「テロも一度もなく~」など呑気なことを言っておられるわけがない。日本人が黙していたのは先帝陛下が「戦争は終わった」と諭されたからだ。理由はそれだけだ。

それにGHQが北朝鮮顔負けの検閲もしていたことは自明だ。北朝鮮でいうところの「国家安全保衛部」やら「社会安全部」のような組織もあった。音楽や書籍、メディアを取り締まる「109常務」みたいなのもあった。だから鳩山一郎が「原爆は残虐」と書けば、朝日新聞は2日間発禁処分になった。朝日新聞はこれに懲りて、いまは支那共産党の機関紙として活躍している。


米軍のイラク占領をして朝日新聞は「日本は幸運だった。治安を保つことができた」と書いた。マッカーサーやダワ―と同じく「占領軍に対するテロは一度もなかった」と舟橋洋一に書かせた。朝日新聞はこの理由を「米軍の道徳心」や「マッカーサーのカリスマ性」ではなく「日米両国の信頼と和解」と産経新聞の真似をした。殺されても「日本人のモラル」とか「天皇陛下の御心」とは書かない、という決意が伝わってくる。もう発禁処分は勘忍してくれと。






2011年9月2日。全国紙に巨大な企業広告が載った。「いい国作ろう。何度でも」というキャッチコピーの写真は、まさに厚木基地に降り立つダグラス・マッカーサーだった。







出したのは「宝島社」だ。2011-9-2・・・「いいくに」と引っかけたわけだが、この9月2日という日は東京湾上の米戦艦ミズーリ号の甲板で降伏文書の調印式が行なわれた日だ。これも偶然ではあるまい。まあ、震災を「敗戦」に置き換えたつもりなのだろうが、これに脊髄反射して怒り出す人は目立っていなかった。多大な広告宣伝費だったと思うが、とくに話題にもならず、いま、この写真を見ても「そういえばあったなぁ~」くらいのモノだと思う。費用対効果でいえば完全にアウトだ。

昨年3月の震災でアメリカは「トモダチ作戦」をやった。しかし、産経新聞は忘れているかもしれないが、関東大震災の翌年には「排日移民法」をしてくれた。敗戦の前年となる昭和19年の東南海地震の翌年には原爆投下だった。今回は偶然にも「トモダチ」だっただけだ。次はわからない、とするのが大人の反応だ。

宝島社は壮大な皮肉をやった。浅薄な保守論客は「また外部から助けてもらうつもりか」と自爆していたが、あのときも米軍から助けてもらったわけではない。宝島社が言いたいのは、あの壮絶なる敗戦から7年間の占領統治を経て、尚、大和民族は自分の足で立ち上がった。だから今回も大丈夫だと。そして、あの敗戦の象徴の写真を見て、あの屈辱を忘れるなと。日本が弱るとマッカーサーが来るぞ、だから元気を出せと言っていたのだ。


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