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岡田氏「問責可決でも総辞職不要」(産経新聞)>2012.6.10

2012年06月10日 | 過去記事

    




岡田氏「問責可決でも総辞職不要」(産経新聞) - goo ニュース


<岡田克也副総理は7日の衆院社会保障・税一体改革特別委員会で、野党が野田佳彦首相の問責決議案を参院に提出し、可決された場合の対応について「辞めなければいけないということはない」と述べ、内閣総辞職する必要はないとの考えを示した。

 野党時代の民主党は平成20年6月、当時の福田康夫首相に問責決議で退陣を迫ったが、岡田氏は「いろんな行き過ぎがあったかもしれないが、福田氏は突っ張って『辞める必要はない』と言うべきだった」と釈明した。自民党の田村憲久氏への答弁>








「ミサンガ」というのが流行った。ずいぶん前だ。本当はビーズ状のモノをいうらしいが、なにか紐みたいなモノもある。いずれも「自然に切れたら願いが叶う」というメルヘンチックなアクセサリーである。いま、女子高生でもない私の右手首に巻かれているのがソレだ。もう、3年半ほどぶら下がっている。

パラオの怪しげな「呪術師」みたいなお婆さんから買った。私は右手首に、妻は右足首に巻いてすぐに切れた。願いが叶ったかどうかはしらないが、私の場合は施設の年寄りに引っ張られても切れない。普段からとくに意識もせず、風呂に入る時も海やプールで泳ぐときもそのままだし、汗は人の倍以上かくし、正直、歩いていて引っかけてしまったことも何度かある。いくらでも「ぷつん」と切れるシーンはあった。しかし、切れてなーいのである。すぐに切れてしまった妻のモノと同じモノのはずだが、私のモノはよほど強い気が念じられているのか、よほど巨大な願い事が叶うのだろうと思っている。

民主党の副総理も手首に白い紐を巻いている。スリランカの寺院で巻いてもらった「お守り」とのことだ。これもやっぱり「願い事」が関係していて、岡田の場合は<最大の願いは社会保障と税の一体改革を成し遂げること。そのためのお守り代わり>ということらしい。総理大臣が「不退転の決意」で政治生命を賭けるというのに、オノレはスリランカのミサンガに願掛けとは、これまた可愛らしい副総理だが、意地の悪いメディアは「法案審議中に切れたらどうすんだ?」とからかう。ところが、これは「心配無用」とのことらしく、理由は「スペアがあるから」ということだ。さすがは無神論の国からニイハオ、御利益の意味すら理解していない。

しかしながら、本当に値打ちのわからぬ男だ。民主党神奈川県連のパーティーでオノレの政党の挙げたマニフェストに対し<誰が見てもできないことをいつまでもできるというのは、まさしく国民に対する不正直だ>と言うだけのことはある。鳩山由紀夫の「CO2・25%削減」もそう。岡田は堂々と<原発にかなり依存することを前提にはじかれた数字だ>と開き直った。消費税の<マニフェスト違反とは思わない。(テニスでボールが線上に落ちる)オンラインみたいなものだ>も同じ。言い直したり、やり直したり、意見を曲げたりすることは恥ずかしいことではないが、それはそれなりに「なぜか?」を説明できねば、それはやはり恥ずかしいことなのだ。事によっては「その前に責任は?」と言われることすらある。これを「自分にしか通じぬ論理」で都合よく解釈したり、勝手に判断したりすることも、我々が生きる一般社会では「使えないヤツ」というレッテルを貼付してもよいことになっている。こんなのと一緒に何かしたり、一緒にモノを考えたりすることは不可能だ。

岡田は7日、衆院社会保障と税の一体改革特別委員会で<私は小沢先生がもう一度考え直して賛成していただけると、そのチャンスはあると思う>と答えたが、その2日前の5日、野田と小沢の2回目の会談を終えて<2回やって同じ結論だった。今後、おそらく首相から働き掛けることは考えられない>とも答えている。つまり、状況に応じてころころと変わるわけだが、これらも「その理由」における「説得力ある説明」がなされていない場合、やはり、浅慮からなる思い付きで発言しているとバレる。説明がつかないわけだ。

浅慮、浅薄というのは民主党の特徴のひとつ。だから内閣改造の目玉、民間から防衛大臣になった森本敏氏も正体が露呈する。森本氏は大臣就任の記者会見で<政府が集団的自衛権(の行使)を認めていないことは十二分に理解している。任期中、防衛相として集団的自衛権の考え方を変更する考えは毛頭ない>とさっそくやった。コレも良く批判されるアレだ。法務大臣が死刑反対論者、大臣就任を打診されたら断れ、というアレである。

コレを擁護する声としては「内閣の方針に従うのは当然」とか「閣内不一致よりはマシ」となる。政治のなんたるか、いままでのようにテレビで放言している立場ではないのだから、と理解を示すことが大人みたいな言い分が垂れ流される。だが、しかし、ちょっとマッテほしいものだ。日本の防衛政策において「集団的自衛権」の議論というのは枝葉の話でもない。瑣末な問題ではないのである。それを曲げて大臣を引き受ける理由がわからないほどの重大事項であるわけだ。森本氏は「集団的自衛権の行使」については「当然のこと」というスタンスだった。これはもう一貫してそうだったはずだ。当然、野田政権はそのことも知りながら頼んできた。ならば普通、この場合の選択肢は二つに限られる。

森本氏が「断る」のか、あるいは民主党政権に「集団的自衛権の解釈を改めさせる」のか。

また、森本氏は産経新聞のインタビューにも「日本の安全保障における中国」についても<中国が全て脅威であると考えていない。ルールを守って国際社会の安定のために役割を果たしてほしい>とか官僚答弁する。それくらいなら他の民主党議員でも言える。支那がルールを守らず、国際社会の安定を揺るがすから、フィリピンもベトナムも困っている。支那の時代遅れの覇権主義は脅威である、というのがアジア全域の常識である。だからこそ無法国家には毅然と対処せねばならない、として、パラオも「自国海域で違法操業していた」と問答無用、支那漁船に発砲して支那人一人を射殺、5名を逮捕、拘束した。あの夢の島、楽園のようなパラオでも「支那の脅威」は現実として受け止めている。

森本氏はパラオの呪術師からミサンガを買ったほうが良いが、支那は日本の尖閣諸島周辺海域をして「核心的利益」と公言している。支那が脅威でなければ、いったい、日本における「脅威」とはなんのことか。防衛大臣がそれを<考えていない>とはどういうことなのか。それならば普段から、テレビや新聞でもそう言っておればいい。鳥越やら古館のように振舞っておればわかる。しかし、防衛大臣になってからの変節は困る。意味不明だ。

森本氏はなぜだか<中国が全て脅威であると考えていない>とのことだが、いま、沖縄で「辞任要求」がなされている。「MV22オスプレイに関する森本敏防衛相の発言」が問題、ということで身内のはずの民主党沖縄県連からも弾を撃たれている。次の選挙を心配するあまり、形振り構わぬメディアを使った宣伝効果はあるのかもしれないが、それよりもオスプレイが普天間に配備されたら困る国がある。<脅威であると考えていない>のは勝手だが、その後ろから弾を撃つ顔をよく見たほうが良い。それは既に<脅威>かもしれない。

岡田副総理に戻すと、副総理は「平成20年の民主党は福田元首相に問責で退陣要求したじゃないか」と自民党議員に詰められ<いろんな行き過ぎがあったかもしれないが、福田氏は突っ張って『辞める必要はない』と言うべきだった>とのうのうと答えた、と記事にある。この言い草は日本人マインドではない。つまり、森本防衛大臣よ、支那朝鮮の<脅威>とやらは、あるとかないとかいうレベルにない。見えないなら教えてやろう。あんたのいる周りがそうだ。




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