藝藩志・藝藩志拾遺研究会

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『『芸藩志』について」

2019年04月07日 23時15分48秒 | 研究会より

幕末芸州広島藩研究会さんの取材

「木原適處と神機隊の人びと」著者 武田正視先生インタビューより

 YouTube   「芸藩志について」

聞くところによると、木原適處(きはらてきしょ)の子孫で、

歯科医をされていた方だそうです。

『芸藩志 第十二 復刻活字版』の第79巻に記述がある、

後に仙台口征討軍に参加する『回天軍第一起神機隊』の発起人である木原秀三郎の事。

広島藩正規軍である「発機隊」や「応変隊」では不十分として、慶応3年9月、

藩の財政難を理由に200人しか許可されなかったものを、

クラウドファンディングで民間から1200人募集し、

職業軍人を養成する意図で組織されました。

武具奉行 高間多須衛から「広島雑賀衆」製の最新式ライフル銃(広島護国神社に現存)や

大砲の供与を得て厳しい野戦訓練を経て、戊辰戦争で唯一の民間部隊として出征しました。

執政は広島藩の正規軍としての出兵を許可せず、脱藩覚悟で出征し、

浅野長勲公の聴許で辛うじて脱藩にならなかったものの、藩からの出兵命令ではない為、

正規軍としては認められず、軍資金約60億円を全てクラウドファンディングで用立てて参戦しました。

『芸藩志』の編纂責任者 橋本素助/川合鱗三は、その小隊長として活躍しました。

『神機隊』の活躍については、8月発刊予定の『芸藩志 第18 復刻活字版』で公開予定です。

(これらの情報はこれまで殆ど公にされていなかった新情報を含みます)



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