<『戊辰役戦史』の説明>
翌24日午前8時に至り、ようやく敵が退却を開始したが、終夜の戦闘に疲れた官軍は広野駅を占領してその場に留まった。
この戦闘で因州兵は戦死傷14、芸州兵戦死1・負傷5を出し、相馬中村兵は戦死3・負傷2、仙台兵は戦死6・負傷8、陸軍隊不明であった。なお、列藩同盟軍は北方の弁天坂(弁天山の木戸駅側)に陣地を設けた。($①P526)
<芸藩志第18巻>
〇七月廿四日暁に至り弾薬送り来る而して天明く本道よりは高間省三等は鯨波を為し賊の砲台を突貫し左側の我銃兵も亦之と同時に抜刀して賊の胸壁に突入し縦横に斬殺す駅口の賊屍は狼藉たり我兵遂に先登広野駅を占領し兵士を配賦して四方を警備せしめ而して後其余兵は駅舎に入り休憩せしむ然れとも賊兵は一端木戸駅に遁走せしといへとも夜中来り時々発砲して挑戦せしも之に応せさりき因州兵は三小隊を広野に留め其余は尽く浅見川に退く此夜督府参謀より我よりは敢て進撃すへからさる旨を令達せり
※この日、22日から24日の戦況報告を行っているが、文面は書籍で。
芸藩兵被害:手負3名。