根子岳山窓

(阿蘇住人の山行記です。)

紀伊半島の旅 9月17日

2018年09月23日 23時11分23秒 | 旅行

ぐるり紀伊半島の3日間
(阪急交通社のツア-)

娘の夏休み休暇プランで「紀伊半島ツア-旅行」への招待があった。
ちなみに、私の定年退職記念旅行として「一週間の一人旅(2002.11月)」で歩いた
コ-ス(比叡山~京都~高野山~奈良~伊勢神宮~那智の滝)と一部重なるが
「瀞峡(どろうきょう)」と「十津川村」は初めて訪れる地であるので
旅行への期待感は大きいものがあった。
(定年は3年後の2005年であったが会社の保養所を利用するため、
会社に身分が在る内にと思い早めの記念旅行であった。)

[一日目の行程] 9月17日(月) 晴れ
 JR熊本駅(発8:10) →JR新大阪駅(着11:38)→伊勢神宮(着15:00~発17:00)→
  三重県志摩市・浜島温泉「夕雅」(着18:10)

 

↑ [添乗員さんの点呼: 熊本駅・新幹線西口]

↑ [五十鈴川に架かる宇治橋にて]

↑ [五十鈴川の清流で御手洗]

↑ [伊勢神宮内宮・正宮(皇大神宮)に参拝]

↑ [一日目の宿泊「プレミアリゾート夕雅」 (三重県志摩市・浜島温泉)]
Aランク(阪急交通社基準)の会席料理を堪能

 

[2日目の行程] 9月18日(火) 快晴  
  「夕雅」(発8:00)→真珠館→花窟(はなのいわや)神社(着11:00)→瀞(どろ)峡
    (着11:50~12:50)→昼食→熊野速玉神社(着14:00~発14:30)→大門坂→
    那智大社→那智の滝(発17:00)→和歌山・勝浦温泉「ホテル浦島」(着17:30)   

↑ [花窟(はなのいわや)神社]

↑ [瀞(どろ)八丁展望所に建つ標識 : 田戸乗船場(下船側)]
新宮川の志古乗船場 (和歌山県新宮市熊野川町) ←(Google マップ)
から乗船して
北山川の田戸乗船場(奈良県吉野郡十津川村)で下船する。
「瀞八丁」で参考にしたサイト→閑古鳥旅行社

↑ [ウォ-タ-ジェット船から眺める上流側(進行方向)の景色]

↑ [寒泉窟(かんせんくつ)]

↑ [船上より青空と川面のブル-グリ-ン(青緑色)の色合いを堪能する]

↑ 田戸乗船場にて] ←(Google マップ)

↑ [瀞八丁展望所から眼下の眺望]
ライムグリ-ンと萌黄色がミックスした神秘的な色彩を放つ、
川面の流れを楽しむ。

↑ 瀞八丁展望所横に在る「瀞駐在所」
標札には「奈良県五條警察署
 十津川警察庁舎」と記されている。

 

↑ [熊野速玉大社・神門]

自然信仰を原点に神社神道へと展開していく熊野信仰は、六世紀に仏教が伝わると早くから神仏習合が進み、「熊野権現信仰」が全国に広まっていきます。「権現」とは、神が権り(仮)に姿を仏に変え、衆生を救うために現れるという意味で、過去・現在・未来を救済する霊場として熊野は広く人々に受け入れられていきます。

さらに、強者弱者、地位や善悪、信不信を問わず、別け隔てなく救いを垂れる神仏として崇敬され、人々は難行を覚悟で、熊野をめざし、「蟻の熊野詣で」の諺も生まれました。(熊野速玉大社HPから転載)

↑  [熊野速玉大社・拝殿]
全国に祀る熊野神社の総本宮で
境内には熊野信仰の象徴である「梛(なぎ)の大樹」が繁る。

↑  [大門坂石畳入口から歩いて7分]
石畳みの階段と樹齢800年の杉木立が続く参詣道。

↑  [熊野古道]
数ある熊野古道の中でも「那智山詣で」の王道として、
大門坂が那智大社まで延びているのであるが、
今回は、石畳を歩くこと20分で
大門坂を離れ、再びバスに乗り那智大社に向かう。

↑ [土産品店が立ち並ぶ石段の参道を登って、朱塗りの鳥居をくぐる]

↑ [西国三十三か所の一番札所・青岸渡寺
現在、改修工事中(来年の3月完了)で外観は見られない、
前回(2002.11月)観た那智大社朱塗りの社殿も今回は見えず仕舞であった。

↑ [青岸渡寺の裏手の境内にて]

↑ [那智の滝をバックに記念撮影]

↑ [青岸渡寺裏手の境内から望む那智の滝

↑ [青岸渡寺裏手の境内から三重塔那智大滝を望む]
日本三名瀑のひとつで落差133m

↑ [熊野那智大社の別宮、飛瀧神社

 

↑ [飛瀧神社境内にて]

 

↑ [二日目の宿泊「ホテル浦島」 (和歌山県那智勝浦町・勝浦温泉)]
勝浦港・観光桟橋から望むホテル浦島の全景、
ここからホテル専用の船で入館。

洞窟風呂(忘帰洞)の淵は海が広がり、潮騒が洞窟内にこだまする・・・
海の中の湯船に浸かっているような空間の心地であった。
夕食はバイキングとまぐろの解体ショ-(解体仕立てのまぐろを賞味)

 

[3日目の行程] 9月19日(水) 快晴 
  ホテル勝浦(発7:30)→熊野本宮大社(着8:40)→十津川村・谷瀬の吊り橋(着10:30)→
   (車中食)~高野山(着12:00~奥の院~普賢院~発14:00)→
   新大阪駅(発17:42)→熊本駅(着21:19) 

↑ [熊野本宮大社]

「かつては「熊野坐神社」と呼ばれた神社で、熊野川の中洲(大斎原)に古代の創祠以来鎮座したが、1889(明治22)年水害に罹災した後、流失を免れた主要社殿三棟を1891年に現在地に移築し、再建したものである。」 ( 和歌山県情報館のHPから転載)

 

↑ [熊野本宮大社・神門]
「第十代崇神天皇65年(紀元前33年)に熊野本宮大社が
旧社地「大斎原」へ鎮座して以来、
平成30年で二千五十年を迎えます。」とのことであった。

↑ [国道168号線の車窓から眺めた十津川]
下流側から上流側を眺める。
* 「十津川」という河川名:  熊野川本流の十津川村内での呼称

↑ [日本一長い(298m)、生活用鉄線の吊橋]

↑ [渡り終えて、左岸に「戻り歩き」のショット]

↑ [吊り橋から下流側の十津川(熊野川)を眺める]
川面からの高さは54m、緩やかに流れる
スカイブルー色を呈した川面が美しい・・・。

吊り橋を30分程見学した後、
ツア-最後の目的地「高野山」へとバスは国道165号線を走る。 ←(Google マップ)
途中ガイドの案内で「平成23年紀伊半島大水害」で深層崩壊(奈良県五條市大塔町)した
山肌を車窓から眺める・・・。
平成28年熊本地震で阿蘇大橋を落橋させた山斜面の深層崩壊と
同じような光景の爪痕を目にすることとなった。

*(深層崩壊とは): 山崩れ・崖崩れなどの斜面崩壊のうち、すべり面が表層崩壊よりも深部で発生し、
                   表土層だけでなく深層の地盤までもが崩壊土塊となる比較的規模の大きな崩壊現象。

↑ [高野山・奥の院]
弘法大師空海の御廟(ごびょう)まで続く参道の両側には
老杉の中に墓や供養塔が立ち並ぶ・・・。
専任ガイド(笑いを呼ぶ面白い僧侶であった)の案内で
御廟橋を渡り燈籠堂の地下を巡る。

↑ [普賢院の楼門]
普賢院では「西郷隆盛直筆の書」の見学や「仏舎利拝観」
そしてマニ車(摩尼車)を回す体験をする。
マニ車(108基): 摩尼車を回すと
「回した数の経を唱えた」ことになり、功徳が得られるとされている。

↑ [JR新大阪駅]
普賢院を離れバスに乗り込み、阪和自動車道を経て(岸和田SAに立ち寄る)
日本一高い(300m)ビル「あべのハルカス」を車窓から眺め
おおよそ3時間半でJR新大阪駅に着く。
今回のツア-は長いバス旅(三日間の走行距離635km)を伴ったが
ガイド゙嬢(南海バス)の豊富な知識と巧みなお話の連続で、
まったく疲れを感じない旅であった。
大阪駅でバスとの別れ際、
娘が、ガイドさんにお礼の言葉を交わしている姿が印象に残った・・・・。

熊本駅着が21:19分、その夜は娘宅に後泊とした。

 

********今回の旅で頂いた御朱印]********

 (平成30年・2018.10.16日追記)

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2 コメント

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紀伊半島の旅 (元→風 様)
2018-09-29 23:13:24
お便り有り難うございます。
最近はウォーキングをサボつているので風さんとの出会いもご無沙汰しております。

紀伊半島のツア-は天気に恵まれ幸いの旅でした。
紀州コ-スの旅は、今回で2度目になりますが瀞(どろ)峡と十津川村は初めて巡る地でした。
観光の圧巻は、断崖に連なる奇岩とコバルトブルーに染まる川面をウォータジェット船で遊覧する「瀞峡」でした。

ところで、心配していた台風24号も熊本から遠退いたようですネ・・・。
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Unknown ()
2018-09-28 08:27:18
 こんにちは。
 密度の濃い、素晴らしい旅でしたね。紀伊半島は素晴らしいですね、小生も昔まだ関東にいた時に何度か車で旅をしたことがあります、写真を拝見して当時を思い出しました。
 紀行文楽しみにしています。
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