根子岳山窓

(阿蘇住人の山行記です。)

四国周遊の旅 6月18日

2019年06月22日 16時02分20秒 | 旅行

ぐるり四国周遊の3日間
(阪急交通社のツア-)

娘の夏休み休暇プランで昨年に続いて今年は「四国周遊ツア-」
への招待があった。

四国は私が27歳の時、四国学園(企業内研修機関)にて10か月間在学した
思い出の地でもあり、これまで幾度ともなく訪れているが
家族旅行は今回で二度目である。

前回の家族5人(長女4歳・次女1歳・女房の父親66歳)の旅行は
学園卒業の翌年(昭和48年)であったので46年前の
遠い昔の事であり、辿ったル-トも薄ら覚えで記憶に乏しい・・・。
そこで、当時の旅行プラン写真(写真1写真2写真3写真4)を探し出して
やつと昔の旅路を思い出す事に至った。

当時は高速道路もカ-ナビも無かった時代であるのでドライブ経路選定に
苦労した「古き良き時代」の思い出として残っている。
思えばその当時、日本列島改造論で取り上げられていた
本州四国連絡橋の基本計画・・・
その夢の大橋を今回初めて見聞することとなった。

(昭和48年の四国巡遊行程:備忘メモとして)
 阿蘇→臼杵~(フエリ-) ~八幡浜→大洲→松山→国民宿舎石鎚(1泊目)
→桂浜→ 高知電電会館(2泊目)→かずら橋→琴平神社→五色台荘(3泊目)
小豆島→松山→八幡浜~フエリ-(4泊目) ~臼杵→阿蘇

 (今回のツア-行程は)
新幹線(広島)→西瀬戸自動車道(しまなみ海道)→大山祇神社→道後温泉(1泊目)
→砥部焼→高速道路「四国8の字ネットワーク」 →高知市内(2泊目)
→かずら橋・大歩危小歩危→金刀比羅宮→瀬戸中央自動車道→新幹線(岡山)

 

[一日目の行程] 6月18日(火) 曇り
JR熊本駅(発7:23)→JR広島駅(着10:43)~(西瀬戸自動車道)~大山祇神社(着13:00)
→亀老山展望台(着14:20)→(来島海峡サ-ビスエリア)→道後温泉(着16:40)

[添乗員さんの点呼・8:30分]
今回の集合場所は、JR博多駅2階「ひかり広場」

↑ [境内の案内板(今治市大三島町宮浦)]
山の神・海の神・戦いの神として「大山積神」を祀る神社で、山神社の総本社 

↑ 大山祇神社(おやまづみじんじゃ)の総門と社号標 

↑ 御神木と一緒に記念写真
「乎知命」の御手植(樹齢二六〇〇年)と伝えられ。
「息を止めて3周すると願い事が叶い、
一緒に写真を撮ると長生きできるなどとの信仰がある。」とのことであった。

↑ 安神山(あんじんさん・267m)]
鶴姫ロ-ド付近からの眺めた山姿であるが登高意欲をそそる岩山である。
大山祗神社の神体山の一つで、大山祗神社の裏手に鎮座する。
神社横から登山口があるとのこと。

頂上からは同じ、神体山である鷲ケ頭山(436m)への縦走路が延びている。
四国学園(企業内研修機関)同窓会の時に「登りたい山」として選定しておこう・・・

 

↑ 亀老山展望公園より来島海峡大橋(184m)を望む]
尾道から今治までの島々(向島~因島~生口島~大三島~伯方島)をわたる
「しまなみ海道」の最後の島
大島」の南端に位置します。

亀老山(標高301m) GoogleMap

↑ [道後温泉・彩朝楽]
道後温泉の高台にあり、道後商店街までは歩いて10分位坂道を下ることとなる。

↑ [道後温泉本館の玄関にて]

↑ [地ビ-ルを片手に、街歩きでの一杯・・・]
道後麦酒館(道後温泉本館横)の漱石ビ-ル(娘の手持ち)と坊ちゃんピ-ル

↑ [午後6時を告げる「坊っちゃんカラクリ時計」]
小説「坊っちゃん」のキャラクタ-達が登場する。

↑ [朝6時、ホテルの部屋から眺める松山城]
松山市の中心部にある勝山(標高132m)の山頂に本丸が在る。
ホテルが高台に在るので昨夜の城下町の夜景も美しかった。

[二日目の行程] 6月19日(水) 晴れ
道後 彩朝楽(発8:00)→砥部焼陶芸館(発8:50)→四万十川遊覧(着12:10~発13:00)
→(物産センタ-・ゆういんぐ四万十)→龍馬記念館(着16:00)→桂浜(発17:40)
→龍馬の宿 南水(着18:30)

↑ [車窓(宇和島道路)より宇和島城を眺める]
「藤堂高虎」創建、その後”伊達十万石の城下町”として栄える。
四国学園の仲間達と宇和島旅行した昭和47年当時を追想・・・。

 

↑ [四万十川屋形船「なっとく」に乗船 ]
遊覧50分、船内で昼食。
「川エビの天ぷら」や「あおさのり佃煮」が食欲をそそる味覚であった。

↑ [四万十川・高瀬沈下橋 (上流側から撮影)]
乗船場から下流側に架かる近くの「高瀬沈下橋」をくぐり、
その先でUタ-ンして上流側を遊覧・・・

↑ [船窓から、高瀬沈下橋の橋脚を洗う清流を望む]
* 高瀬沈下橋   ←Googleマップ

↑ [坂本竜馬記念館屋上より桂浜を望む]

[今回の御一行さま42名+添乗員・ガイド]
「銅像の向きは東京の皇居の方向に向け、顔の向きは少し右を向き、
竜馬の志であった太平洋の向こうの世界を見据えるようにしたとか・・」
(宿毛市出身・彫刻家山本白雲制作報告より)

↑ [桂浜公園・坂本竜馬の銅像前にて]

↑ [坂本竜馬銅像前にて ]
竜馬が見つめる土佐湾の先の太平洋をバックに・・・

↑ [桂浜にて ]

↑ [今夜の宿 「南水」 ]

↑ [土佐の郷土料理・皿鉢(さわち) ]
いずれの品も美味しいものばかりであったが、最高の味合いは
やはり「鰹タタキ」で
スライスしたニンニクを載せて食べるのが土佐流との事。
赤身のもっちり感は初めて食する口当たりであった。

[三日目の行程] 6月20日(木) 快晴
龍馬の宿 南水(発8:00)→かずら橋(着9:30~発10:30)→大歩危→小歩危→
金刀比羅宮(着12:20~発15:00)~(瀬戸中央自動車道)~JR岡山駅(発18:05)→JR熊本駅(着22:13)

 

↑ 「祖谷(いや)のかずら橋」 渡り口へ取付く ]
バス駐車場を降りて、物産館「かずら橋夢舞台」を通りぬけ坂道を5分位下る。

            「祖谷のかずら橋」は、徳島県三好市西祖谷山村←Googleマップ

↑ [下流側に架かるコンクリト橋(祖谷渓大橋)から「かずら橋」を眺める]

 

↑ [かずら橋入口]

[水面から14mの高さ・長さは45mの吊り橋を渡り切った・・・ !!
奥祖谷地区には、もう一つのかずら橋(奥祖谷二重かずら橋)があるとのことであった。

↑ [かずら橋を渡って左岸から望む] 

↑ [大歩危峡まんなか]
「レストラン大歩危峡まんなか」の店内に付けられた、川面に降りる
階段を辿ると遊覧船船着き場に至る。
吉野川の清流の美しさもさることながら、河川沿いに露出する特異な岩石にも魅せられた。
岩塊に刻まれた説明には「含礫片岩(がんれきへんがん)」と記されていた。

 *吉野川は、
日本三大暴れ川の1つとして数えられ、利根川(坂東太郎)・筑後川(筑紫次郎)と
並び四国三郎(しこくさぶろう)の異名を持つ。(ウィキペディアより)

↑ [琴平町(琴平参駐車場付近)から象頭山(ぞうずさん)を展望する]
象頭山中腹に金刀比羅宮は鎮座する。、
象頭山とは象頭山(538m)と琴平山(524m)の二つの山の総称で
通称名では金比羅山と呼ばれている。
琴平参駐車場から眺める象頭山←Googleマップ

↑ [土産品店が並ぶ参道]
昼食を済ませて後、ツア-集合場所の小松屋土産店を出発して
紀の国屋本店前を通過・・・。

↑ [628段目にある旭社
本宮を参拝した後、下りで参拝する習わしがあるとの事。

↑ [元気なガイドさん83歳]
案内の最後には必ず面白い洒落文句で〆られ、笑いを誘う・・・。

↑ [ゴールの785段を目前に御本宮を仰ぎながら「御前四段坂」を上る]

↑ [本宮拝殿横にある高台(展望台)から讃岐富士(飯野山422m)を望む]

↑ [拝殿と神木の楠]

↑ [バス車窓より円錐形の讃岐富士を望む]

↑ [瀬戸中央自動車道・櫃石島(ひついしじま)付近から望む景観]

↑ [櫃石島(ひついしじま)付近の景観]

↑ [櫃石島橋付近と思われる景観]
櫃石島橋←Googleマップ

(2019.7.30 加筆)  

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