「倭歌は、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける。」
(古今和歌集:仮名序)
体調を崩し、着物を着ての外出は不可能で、
たんすの肥やしになっている・・・
そのように考えていたおばあさんは、
思い切って 着物を処分することを考えたのでした。
おじいさんに何気なく話すと、
おじいさんが怒っているように見えてしまうのです。
別に怒っている訳ではないのでしょうが、
おばあさんの心の奥底に
「まだ、着物を処分しないで欲しい」という気持ちがあるのだなあ~と感じて、
処分は取りやめました。
そして、もう、シミが出ようが、
外に着ていくことは無いのだから気楽に着ようと
着物を羽織って、読経したり、お茶を飲んだり・・・
もともと、ひとりで楽しむことが好きなので、
今までのように、人と関わるために必要な着物だったものが、
本来の自分らしい着物とのかかわりあいになって
おばあさんは、やっと着物が楽しめるようになったのでした。
着物って、窮屈なのです・・・ おばあさんにとって。
人は良かれと思ってアドバイスをくれるのですが、
この場所では、その着物はタブーだとか、
その着物を着る時は、白の帯揚げ、帯締めじゃないとねと親切に教えてくれるのですが、
間違えてしまったおばあさんは、そのたんびに、
「ヤバい! 間違えた! 常識外れなことしてしまった! 無知をさらした!」と
みっともないやら 恥ずかしいやら 周りに申し訳ないやらで
着物を着るたびにひやひやしていました。
着物を着る=他人と関わる マナーを守る ということでしたから
おばあさんにとって。
ひとりで楽しむ着物のなんと楽しいことか。
せいぜい、10分ぐらい、長くても30分ほど着物を着るだけなのですが、
今日から、着物を着て、
漢詩と古今和歌集を読み始めました
冒頭の歌は 古今和歌集のものです。
すっばらしい!と感動してしまいました。
「人の心を種として・・・」
人の心は 種
種から 芽が出て 葉が生茂り・・・
言の葉となっていく・・・
自然の全てのものが歌をうたっていると仮名序に書かれていて、
ウグイスが鶯をしていること
カジカガエルが河鹿蛙をしていること
それは 言の葉であらわせないけれど
こころが種になっているのだなぁと感じました
じゃあ こころって 何?
漢詩は
孟浩然「春暁」を声に出して読みました。
そして 猫も聞いていたのでした
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/d0/57c02e2bc25e2cab0d986e8b6776df92.jpg)
ひっそりと聞く 猫ちゃん