公文で九年

公文式教室を9年間経営していた学習塾経営者です。
公文教室とはどういうものか私の視点で公開したくなりました。

最近のコメントから。

2007-06-01 | 読者からのコメント・おたより
≪公文式指導って本当に難しい。
まともな指導ができるようになるまで何年もかかるような気がします。
失敗ばかりで本当に嫌になってしまいます。一番多かったのが、進めすぎ。
あんまり2先だ3先だとせかされて。
じっくり取り組んでいれば自然とそうなったかもしれないのに…。
子供の方から「身に付いていないような気がする」といってやめられた時はショックでした。
『こどもから学ぶ』と言ったって、失敗された子供はたまったもんじゃないですよね。しかたがないのかな。
こういうストレスと戦うのも指導者としての勉強?≫



≪開設前はさすがに大きな会社だけあってしっかりしているなという印象でした。
開設後はおかしなことばかりで先行き不安です。
まず開設前研修の内容がほとんど役に立たなかった(少なくとも開設直後には)もっと他にやっておくべきことがあったはず。
それから、せっかく勉強したことを誠実に実践しようとしているのに「あまり研修で聞いたことばかりを鵜呑みにしないで下さい」などと局員に言われることがあり、現場と研修の場のちぐはぐ感が気になります。
FBについてもそんなに大切なことなら研修のうちに教えといて欲しかった。
あれもこれも一度にはムリ。≫



≪ひょんな事でこのブログを見つけました。
1982年に開設、1998年に閉鎖。一時期は500人教室という集まりにも参加した指導者です。
勿論公文会長の事も良く知っていますし、息子の毅社長の事もよく知っています。
当時はもっと大らかでしたが局員の態度はあなたのブログと変わりませんでした。
公文公会長だけが指導者の一番の理解者、「先生方のおかげで・・」という言葉をよく聞きました。
公会長の死、毅社長の病気そして死をきっかけにそれまで殆んど知られていなかった毅社長の友人の証券会社からきた方が恐ろしい変革を成し遂げて行きました。
が、本質は同じでしょう。
やはり昔から局員は指導者を女郎、自分達をヒモ呼ばわりをしていましたから。
能力のある方はお辞めになって正解です。能力の無い普通の主婦なら余り疑問にも思わず続けていけるのかもしれませんが。
大教室と呼ばれた私でも局員とはしょっちゅう腹が立ってけんかばかりしていました。
指導より事務局へのストレスの方が多かったように思いました。≫


などなど、様々なキャリアの方から、色々お便りをいただきます。
コメントとしてそのまま、投稿していただいた記事に貼り付けて公開しているものもありますが、現役の方で、「公開はまずいんじゃ・・・・」と思われる内容のものもありますのでメールアドレスなど記載してあってお返事が可能な場合には、非公開で、できる限りのお返事はさせていただいています。
でも私も、現在の教室経営・運営の合間のブログなので・・・・

≪進め過ぎ≫ということは、よくあることで、いったん二先三先などの進度表彰を受けたりすると、子ども自身もその進度が自分の能力の評価であるかのように思い込みますし、親の方も鼻高々だったりするので、学年相当の復習などは難しいことになったりします。
私がくもん教室をしていた頃は、春休みの頃、新学年相当の教材を一回通して復習させることでカバーしていましたが、その間は進度が上がらない状態になるので
生徒数の割には二先三先の学習者数が少なく、事務局には指導力の低い指導者だと思われていたろうと思います。
でも・・・・もちろん、継続率は高いので、表立って文句を言われたことはありませんが。保護者からは感謝こそされ、苦情はめったに出ませんでした。
うちの場合、保護者の方からよく言われるのは
『学校で習ったことは忘れても、ここでできるようになったことは絶対に忘れないんですね・・・・・』
現在も、その方針はそのままです。

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