公文で九年

公文式教室を9年間経営していた学習塾経営者です。
公文教室とはどういうものか私の視点で公開したくなりました。

大阪の鬼母

2010-09-13 | 雑記
子どもの虐待など、珍しくもないという昨今ですけれど
この件では胸の中に重いしこりが出来たようで、関連記事等目にするたびに
「どうして・・・・」「なんで・・・・」という想いがグルグルしてしまいます。

一つには、自分自身の子育て中の想いに通じることもあり
「こどもなんていなければ・・・・」という感情はわからなくはないし、
時にうざいもの、ジャマなもの、という気持ちが生まれることは誰にだってある、
ということ。

もう一つは、それならなぜ、
児童相談所に相談するなり、それも出来ないと言うのであれば
《捨て子》にするとか、他の方法をとることができなかったのか・・・・ということ。

もしかして、「母親なのに・・・・」と責められる・怒られるのがいやだったのかな、
10歳ぐらいの情緒感覚のまま、オトナになってしまったのかな、
無残な死に方をした子ども達も哀れですけれど
そうすることしか考えられなかった母親も哀れな・・・という想いがします。

日々、子ども達に接する仕事をしていると
子どもの嘘にはしょっちゅう向き合うことになります。
やりたくない宿題を隠して「なくした」なんていうのは毎度のことです。
そんな子どものやることと通じるものを感じて、
ただただ、哀しさばかりが募ります。

普通、子ども達は日々の体験を通じて
「嘘はばれる」「責任回避はできない」「代替手段を考える」
などなど学んでいき、それなりにオトナになっていくものですし
それをサポートするのが《教育》ということだと思っています。

学校の成績がよい、というのも大事なことですけれど
それ以前に、今の教育制度では
何か、人間として大切なことを教え損なっているのではないか、
うちの教室では、ちゃんとそれを教えることができているだろうか、
子ども達一人ひとりに
「自分は愛されている、大切にされている」ということを感じてもらえているだろうか、
不器用だったり忙しかったりして
わが子にそれを伝え損ねている親の想いを、
ちゃんと子ども達にわからせてあげることができているだろうか・・・・・

《嘘吐きは泥棒の始まり》と言われて育ったものですけれど
現代では《子殺し》に通じてしまうのかも知れないと思うと
うかうかしてはいられません。

少なくとも私の身近にいる子どもたちが、子どものまま大きくなってしまわないよう
できる限りのことはしていかなくては・・・・
と思いながらも、
やっぱり、やりきれない、重い想いがぬぐえないでいる昨今です。



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