某所に佇む「落書きの家」― 家の壁面に書かれた怪文書
埼玉県某所にある「落書きの家」。別名「バキの家」(編注:『グラップラー刃牙』シリーズの主人公・範馬刃牙の自宅も落書きだらけのため)とも呼ばれるこの家は、その独特な佇まいから、これまでも多くの好事家によって注目され続けてきた。だが、この家の四方に展開されている謎のテキスト類そのものについては、深く掘り下げられたことはあまりなかった。そこで今回は、この家の壁面全体に書き殴られたひとつ一つの怪文書に着目、改めてその闇を読み解くことにしたいと思う。なお、今回ご紹介する画像は今から数年前に撮影したものであるため、現在は何らかの変化が生じている可能性も否定できない。まずはそのことについて、付記しておく。
さて、まずは屋敷の背面左側の壁に注目してみよう。それぞれの文字は別として、まず目を引くのが、パトカーの塗装よろしく、その壁面がいわゆる「パンダ」のように塗り分けられている点だ。もともと白かったものを黒に塗ったのか、また、その逆なのかは定かでなく、そのことにどのような意味があるのかすら、我々は知る術もない。だが、きっと家主にとっては、何らかの意味が込められたものであると考えられる。
なお、この面に記されている文字のうち、目立つところとしては「右脳切断で両目左側半盲 失った大型免・二輪・乗れないナナハン」という文章。一応は文章として成立していることから、そのままで意味を理解するとすれば、「事故か何かで片目の光を失い、結果としてバイクに乗れなくなった」といったところだろうか。だが、仮に右脳を本当に「切断」したのならば、バイクはもとより、日常生活もおぼつかないハズ。こうした怪文書を書く余裕なぞは、おそらくないものと考えてしかるべきであろう。その点においては謎の残る一文だ。
続いて背面右側へと回りこみ、屋敷の外からその中を覗き込んでみる。すると、そこには、
「なんとピッタリ 蓮田市からの請求額206万強10月に 二年遅れ 年金2,230,151円 所得税 167,255 2月15日 支給額 206万2896円 差引0円 ごろ合わせ年間110万 借家か 住み続け」
「気付かぬうちに丸見えの風呂 脱衣所の作り方 今は浅草の蛇骨湯 天然温泉の」
と、大きく分けてふたつの内容が記載されていることに気づく。「なんとピッタリ」という通販番組のセールストーク顔負けの実にキャッチーなフレーズで始まるひとつめは、自治体から支払われる年金と所得税に関するもの。もうひとつは風呂に関するものだ。
ひとつめでは、おそらく家人が受け取った年金に関する何らかの不平・不満について訴求したかったのだと推測される。一般の会社勤めでもそうだが、いわゆる総支給額から税金などを引いた金額が支払われるというシステムを理解していなければ、たしかに「実際に支払われた金額に数字上の帳尻を合わせるために、税金の金額を決めている」と邪推するものなのかもしれない。
なお、後半の「丸見えの風呂」については、たしかに江戸時代の「湯屋」などでは、そうしたサービスが存在していた時期もあるが、現在はマニア向けの風俗店やラブホテルなどでしか、そうのようなものは存在していないように思う。やはりこうしたタイプの屋敷に住む人間特有の、衆人環視に対する恐れのようなものを表現したのだろうか。
次に屋敷の周囲に巡らされたブロック塀の内側に記された文字を確認してみる。
こちらは壁面とは違い、その材質の関係から滲んでしまっているため、判然としない部分もあるが、大きく記された「闇」という文字が印象深い。
前出の「右脳切断で両目左側半盲」と大きく関係がありそうだが、現時点においては、その意味がわかるようで、その実てんでわからないといった感は否めない。また、全体を俯瞰した時に浮かび上がってくる「Cut 両目 闇 盲(もう)ナナハン乗れない」という一文は、ついついラップ調に読み上げてみたくなる衝動には駆られるものの、実際には意外とそれが難しいことに気づかされるちょっとした怪文である。なお、この一文に記された「盲」は「もう(英「already」の意)」の引っかけかもしれないが、だとすれば、なかなか言葉遊びの得意そうな家人と言えるだろう。これまた見ようによっては、実にキャッチーな表現上の工夫である。
さて、今度は敷地内にぽつねんと佇む小屋の壁に視点を移す。ここは地の色が茶ということもあり、文字の判別は比較的容易だ。しかし、ところどころ判然としない箇所もあるため、そこはご容赦願いたい。一応、ざっくりとこの面に記された主だった文字を拾っていくと(※以下、判読不能な文字は「()」として記しておく)、
「左半分の土地を奪われるのを止めた男が25年ぶりに 八三八闇を 帰ってきたら 元気に死()に入った」
「983年 両目左半盲 予告の頭殺し 前に消防団 代死四のゾロ」
「右脳切断そして暗闇の左 一夜に五百kmを走る 大好きな750バイクと車を失い 外出の自由を奪ったその医学」
「大株主作るYOU老人 止まらない手術のユーロ」
「死者達の そして全山手線内を走り回った大株主の目、筋肉、関節、脂肪、骨、自転車行動の自由」
「「利益」と「防災」執拗に迫る「強盗犯罪」」
字面どおりにその言葉を理解しようとすると、ゲシュタルト崩壊にも似た現象が起きてしまい、割と頭がクラクラしてくる内容ではあるが、「大株主作るYOU老人止まらない手術」と、やはりというか何かの楽曲の歌詞ではないかと思われる言葉遣いが目に入る。今時、このような「YOU」の使い方をするのは、ジャニー喜多川氏くらいのものであろうが...。
また、仮に983年と838をいずれも年号だとするならば、前者が平安貴族の時代で、後者が遣唐使(~894)で知られる頃。とてもこの家の家主がその頃を知っているとは思いがたい。なお、「代死四のゾロ」については、一見、サイコロ博打の符丁のようにも見えなくもないが、これまた謎のフレーズである。ただ、これだけ文意不明の怪文書を並べても、前出のものと比較して共通するのは、例の「右脳切断」とバイクに関する記述。どうやら家人にとっては、そのふたつが人生の中で大きな影響を与えたものであるようだ。
今度は、壁面左側上部を写した画像を観察してみる。ここに記されているのは、大きくわけて次の3つ。
(1)「サミット "自民が恐怖"間に合った脳切除!STOP外出 ブッチ切り出世 1983年7月 永久主任」
(2)「1983東京ディズニーランドオープン 株・配当金どろぼう」「1998年 開かれない株主総会」
(3)「300億円の紙くず 10年」
まず(1)については、ほかの場所にも書かれている「脳切除」ネタ。ただし「ブッチ切り出世 1983年7月 永久主任」については相変わらずその文意が不明瞭である。もしかすると、これは前掲の税や年金に対する不満の際に対応した自治体の職員について言及している部分なのかもしれないが、正直これだけでは判断が難しいところだ。
(2)については、たしかにTDL自体は1983年4月15日のオープン(アトラクション数32。A-Eまであるアトラクションチケット1枚が100~400円)であり、(1)でも触れられているこの年の7月15日には、後に爆発的な大ブームとなる任天堂のファミリーコンピューター(HVC-001/メーカー希望小売価格14800円)が発売されるなどのビッグイベントが相次いだが、無論、そうした出来事と彼の主張との直接的な因果関係については一切不明である。また、TDLを運営するオリエンタルランドが「株・配当金どろぼう」と批判されるような出来事は、今に至るまで発生していない。
最後の(3)については、その表現から類推して、経営破綻などから、「300億」の株券が一夜にして紙くずになったという意味合いではないかと推測される。だが、過去の巨額破綻を丹念に見ても、それと思しきものは発見できなかった。ただ、「脳切除」に関する部分以外に概ね共通しているのは、巨大資本や国家権力、社会体制といったものへの批判、すなわち、ある種のアナキズムにも似た思想である。彼の中では、巨万の富を動かす資本家も、多くの人々の上に立つ政治家も、公僕も、そしてそれに抗うことなく惰性に任せて生きるかのように見える大衆についても、その時代ごとのマジョリティとは違った偏差が、見解の中で生じているのかもしれない。
続いて、かなり傷みが激しい壁面右下を見ていく。ここに記されているのは、
「なぜかボロボロ 腐る タイプⅠ(ワン)の耐水合板 カナダ産ツー・バイ・フォー材 こんなの有りか 木質系シージングボード 消防法的安全度 家命奪う 作る財産 十八から株投資をする 公務員は居ないが 実力勝負の決断力」
ここではかつてその問題性が指摘された輸入建材に関する批判のようであるが、よくよく見ていくと、「ボー(ド)」と「安全(度)」のように、ややラップ調の文章であることも見てとれる。
「木質系シージングボード 消防法的安全度 家命奪う 作る財産」
それっぽい音程で口にすると、なかなかの出来である。「作る財産」のフレーズが残す独特な余韻とザックリとした勢いも秀逸だ。
そしてさらに傷みが激しい正面部分へ。ここには...
「異常と猟鬼」
「1983年に倒産した「株券は紙くず」
「1山一證券2北海道拓殖銀行3東京相和銀行 無配当の超優良株今年で14年こんな事有りか?」
「2月15日2230151円 ―税16万7255円 入金206万2896円」
と、サイズのバラバラな文字があちらこちらを埋め尽くしている。またもや「1983年」の登場。また、山一や拓銀など、90年代後半に相次いで事実上の破綻を迎えた巨大企業が並べられていることから、少なくともこれらの文字はそれ以降に記されていたものであると考えるべきであろう。また、同じような内容は、屋敷の側面壁にも記されており、こちらの方は「紙クズ拓銀だけでも配当3000万円10年で3億円を盗み ニセ倒産 無配当の三社 恐喝東京相和銀行社長達北海道拓殖銀行山一證券」といった倒産ラッシュの世相への批判を想起させる批判的なメッセージが数多く並んでいる。
ちなみにそのほかのところとしては、「ガラス なぜ割る」という意外と普通のメッセージや、別棟の小屋状の建物に記された「なぜ自民 飲食物水道に 消えた製造年月日 薬物23(7)年」という、一見、短歌か何かのように見えて実際のところそうではないという怪文も出現しているが、こちらについては無論、その文意は判然としない。雑誌『AERA』の中吊り広告に付された駄洒落入りのキャッチコピー的な要素を持っているのではないか? とも考えたがどうやらそれは考えすぎであったようだ。
このように、今回「落書きの家」の「落書き」を、改めてひとつずつ確認していったが、そこから読み解けるのは、当家の家人が、もともと大勢に対する批判精神に満ちた人物であり、ここまで「極める」前の段階においても、独特な主義主張を持つ人物であったことが想像できるという点だ。それが事故か病かによってバイクに乗れなくなったり、風呂に入っていても落ち着かないような恐怖に怯えたり、行政の担当者に対して怒りを覚えたりといった人生を歩んだことにより、あるいは、自身を突き動かす「表現」への情熱から、こうした1軒丸ごと使った作品、すなわち、そのパーソナリティと、辛酸と苦渋に満ち溢れた時間によって紡がれた軌跡を、生み出すに至ったのではないか? と、朧げながらではあるものの推測できる。
もしかすると今の世のように、インターネット上だけでも、自らの表現が造作なく行える時代に彼が育っていたら、外の世界に向かって行う表現は、また別の形となって、我々の眼前へと、その姿を現したかもしれない。しかし、そうは言っても、これはあくまで推測の域を出ない話。それこそ、本人にじっくりと話を聞いてみないと、いや、聞いてみたところで、それは正確な答えというものが、何ひとつ、見出せない性質を持ったものなのかもしれない。
(写真/文=Ian McEntire)
埼玉県某所にある「落書きの家」。別名「バキの家」(編注:『グラップラー刃牙』シリーズの主人公・範馬刃牙の自宅も落書きだらけのため)とも呼ばれるこの家は、その独特な佇まいから、これまでも多くの好事家によって注目され続けてきた。だが、この家の四方に展開されている謎のテキスト類そのものについては、深く掘り下げられたことはあまりなかった。そこで今回は、この家の壁面全体に書き殴られたひとつ一つの怪文書に着目、改めてその闇を読み解くことにしたいと思う。なお、今回ご紹介する画像は今から数年前に撮影したものであるため、現在は何らかの変化が生じている可能性も否定できない。まずはそのことについて、付記しておく。
さて、まずは屋敷の背面左側の壁に注目してみよう。それぞれの文字は別として、まず目を引くのが、パトカーの塗装よろしく、その壁面がいわゆる「パンダ」のように塗り分けられている点だ。もともと白かったものを黒に塗ったのか、また、その逆なのかは定かでなく、そのことにどのような意味があるのかすら、我々は知る術もない。だが、きっと家主にとっては、何らかの意味が込められたものであると考えられる。
なお、この面に記されている文字のうち、目立つところとしては「右脳切断で両目左側半盲 失った大型免・二輪・乗れないナナハン」という文章。一応は文章として成立していることから、そのままで意味を理解するとすれば、「事故か何かで片目の光を失い、結果としてバイクに乗れなくなった」といったところだろうか。だが、仮に右脳を本当に「切断」したのならば、バイクはもとより、日常生活もおぼつかないハズ。こうした怪文書を書く余裕なぞは、おそらくないものと考えてしかるべきであろう。その点においては謎の残る一文だ。
続いて背面右側へと回りこみ、屋敷の外からその中を覗き込んでみる。すると、そこには、
「なんとピッタリ 蓮田市からの請求額206万強10月に 二年遅れ 年金2,230,151円 所得税 167,255 2月15日 支給額 206万2896円 差引0円 ごろ合わせ年間110万 借家か 住み続け」
「気付かぬうちに丸見えの風呂 脱衣所の作り方 今は浅草の蛇骨湯 天然温泉の」
と、大きく分けてふたつの内容が記載されていることに気づく。「なんとピッタリ」という通販番組のセールストーク顔負けの実にキャッチーなフレーズで始まるひとつめは、自治体から支払われる年金と所得税に関するもの。もうひとつは風呂に関するものだ。
ひとつめでは、おそらく家人が受け取った年金に関する何らかの不平・不満について訴求したかったのだと推測される。一般の会社勤めでもそうだが、いわゆる総支給額から税金などを引いた金額が支払われるというシステムを理解していなければ、たしかに「実際に支払われた金額に数字上の帳尻を合わせるために、税金の金額を決めている」と邪推するものなのかもしれない。
なお、後半の「丸見えの風呂」については、たしかに江戸時代の「湯屋」などでは、そうしたサービスが存在していた時期もあるが、現在はマニア向けの風俗店やラブホテルなどでしか、そうのようなものは存在していないように思う。やはりこうしたタイプの屋敷に住む人間特有の、衆人環視に対する恐れのようなものを表現したのだろうか。
次に屋敷の周囲に巡らされたブロック塀の内側に記された文字を確認してみる。
こちらは壁面とは違い、その材質の関係から滲んでしまっているため、判然としない部分もあるが、大きく記された「闇」という文字が印象深い。
前出の「右脳切断で両目左側半盲」と大きく関係がありそうだが、現時点においては、その意味がわかるようで、その実てんでわからないといった感は否めない。また、全体を俯瞰した時に浮かび上がってくる「Cut 両目 闇 盲(もう)ナナハン乗れない」という一文は、ついついラップ調に読み上げてみたくなる衝動には駆られるものの、実際には意外とそれが難しいことに気づかされるちょっとした怪文である。なお、この一文に記された「盲」は「もう(英「already」の意)」の引っかけかもしれないが、だとすれば、なかなか言葉遊びの得意そうな家人と言えるだろう。これまた見ようによっては、実にキャッチーな表現上の工夫である。
さて、今度は敷地内にぽつねんと佇む小屋の壁に視点を移す。ここは地の色が茶ということもあり、文字の判別は比較的容易だ。しかし、ところどころ判然としない箇所もあるため、そこはご容赦願いたい。一応、ざっくりとこの面に記された主だった文字を拾っていくと(※以下、判読不能な文字は「()」として記しておく)、
「左半分の土地を奪われるのを止めた男が25年ぶりに 八三八闇を 帰ってきたら 元気に死()に入った」
「983年 両目左半盲 予告の頭殺し 前に消防団 代死四のゾロ」
「右脳切断そして暗闇の左 一夜に五百kmを走る 大好きな750バイクと車を失い 外出の自由を奪ったその医学」
「大株主作るYOU老人 止まらない手術のユーロ」
「死者達の そして全山手線内を走り回った大株主の目、筋肉、関節、脂肪、骨、自転車行動の自由」
「「利益」と「防災」執拗に迫る「強盗犯罪」」
字面どおりにその言葉を理解しようとすると、ゲシュタルト崩壊にも似た現象が起きてしまい、割と頭がクラクラしてくる内容ではあるが、「大株主作るYOU老人止まらない手術」と、やはりというか何かの楽曲の歌詞ではないかと思われる言葉遣いが目に入る。今時、このような「YOU」の使い方をするのは、ジャニー喜多川氏くらいのものであろうが...。
また、仮に983年と838をいずれも年号だとするならば、前者が平安貴族の時代で、後者が遣唐使(~894)で知られる頃。とてもこの家の家主がその頃を知っているとは思いがたい。なお、「代死四のゾロ」については、一見、サイコロ博打の符丁のようにも見えなくもないが、これまた謎のフレーズである。ただ、これだけ文意不明の怪文書を並べても、前出のものと比較して共通するのは、例の「右脳切断」とバイクに関する記述。どうやら家人にとっては、そのふたつが人生の中で大きな影響を与えたものであるようだ。
今度は、壁面左側上部を写した画像を観察してみる。ここに記されているのは、大きくわけて次の3つ。
(1)「サミット "自民が恐怖"間に合った脳切除!STOP外出 ブッチ切り出世 1983年7月 永久主任」
(2)「1983東京ディズニーランドオープン 株・配当金どろぼう」「1998年 開かれない株主総会」
(3)「300億円の紙くず 10年」
まず(1)については、ほかの場所にも書かれている「脳切除」ネタ。ただし「ブッチ切り出世 1983年7月 永久主任」については相変わらずその文意が不明瞭である。もしかすると、これは前掲の税や年金に対する不満の際に対応した自治体の職員について言及している部分なのかもしれないが、正直これだけでは判断が難しいところだ。
(2)については、たしかにTDL自体は1983年4月15日のオープン(アトラクション数32。A-Eまであるアトラクションチケット1枚が100~400円)であり、(1)でも触れられているこの年の7月15日には、後に爆発的な大ブームとなる任天堂のファミリーコンピューター(HVC-001/メーカー希望小売価格14800円)が発売されるなどのビッグイベントが相次いだが、無論、そうした出来事と彼の主張との直接的な因果関係については一切不明である。また、TDLを運営するオリエンタルランドが「株・配当金どろぼう」と批判されるような出来事は、今に至るまで発生していない。
最後の(3)については、その表現から類推して、経営破綻などから、「300億」の株券が一夜にして紙くずになったという意味合いではないかと推測される。だが、過去の巨額破綻を丹念に見ても、それと思しきものは発見できなかった。ただ、「脳切除」に関する部分以外に概ね共通しているのは、巨大資本や国家権力、社会体制といったものへの批判、すなわち、ある種のアナキズムにも似た思想である。彼の中では、巨万の富を動かす資本家も、多くの人々の上に立つ政治家も、公僕も、そしてそれに抗うことなく惰性に任せて生きるかのように見える大衆についても、その時代ごとのマジョリティとは違った偏差が、見解の中で生じているのかもしれない。
続いて、かなり傷みが激しい壁面右下を見ていく。ここに記されているのは、
「なぜかボロボロ 腐る タイプⅠ(ワン)の耐水合板 カナダ産ツー・バイ・フォー材 こんなの有りか 木質系シージングボード 消防法的安全度 家命奪う 作る財産 十八から株投資をする 公務員は居ないが 実力勝負の決断力」
ここではかつてその問題性が指摘された輸入建材に関する批判のようであるが、よくよく見ていくと、「ボー(ド)」と「安全(度)」のように、ややラップ調の文章であることも見てとれる。
「木質系シージングボード 消防法的安全度 家命奪う 作る財産」
それっぽい音程で口にすると、なかなかの出来である。「作る財産」のフレーズが残す独特な余韻とザックリとした勢いも秀逸だ。
そしてさらに傷みが激しい正面部分へ。ここには...
「異常と猟鬼」
「1983年に倒産した「株券は紙くず」
「1山一證券2北海道拓殖銀行3東京相和銀行 無配当の超優良株今年で14年こんな事有りか?」
「2月15日2230151円 ―税16万7255円 入金206万2896円」
と、サイズのバラバラな文字があちらこちらを埋め尽くしている。またもや「1983年」の登場。また、山一や拓銀など、90年代後半に相次いで事実上の破綻を迎えた巨大企業が並べられていることから、少なくともこれらの文字はそれ以降に記されていたものであると考えるべきであろう。また、同じような内容は、屋敷の側面壁にも記されており、こちらの方は「紙クズ拓銀だけでも配当3000万円10年で3億円を盗み ニセ倒産 無配当の三社 恐喝東京相和銀行社長達北海道拓殖銀行山一證券」といった倒産ラッシュの世相への批判を想起させる批判的なメッセージが数多く並んでいる。
ちなみにそのほかのところとしては、「ガラス なぜ割る」という意外と普通のメッセージや、別棟の小屋状の建物に記された「なぜ自民 飲食物水道に 消えた製造年月日 薬物23(7)年」という、一見、短歌か何かのように見えて実際のところそうではないという怪文も出現しているが、こちらについては無論、その文意は判然としない。雑誌『AERA』の中吊り広告に付された駄洒落入りのキャッチコピー的な要素を持っているのではないか? とも考えたがどうやらそれは考えすぎであったようだ。
このように、今回「落書きの家」の「落書き」を、改めてひとつずつ確認していったが、そこから読み解けるのは、当家の家人が、もともと大勢に対する批判精神に満ちた人物であり、ここまで「極める」前の段階においても、独特な主義主張を持つ人物であったことが想像できるという点だ。それが事故か病かによってバイクに乗れなくなったり、風呂に入っていても落ち着かないような恐怖に怯えたり、行政の担当者に対して怒りを覚えたりといった人生を歩んだことにより、あるいは、自身を突き動かす「表現」への情熱から、こうした1軒丸ごと使った作品、すなわち、そのパーソナリティと、辛酸と苦渋に満ち溢れた時間によって紡がれた軌跡を、生み出すに至ったのではないか? と、朧げながらではあるものの推測できる。
もしかすると今の世のように、インターネット上だけでも、自らの表現が造作なく行える時代に彼が育っていたら、外の世界に向かって行う表現は、また別の形となって、我々の眼前へと、その姿を現したかもしれない。しかし、そうは言っても、これはあくまで推測の域を出ない話。それこそ、本人にじっくりと話を聞いてみないと、いや、聞いてみたところで、それは正確な答えというものが、何ひとつ、見出せない性質を持ったものなのかもしれない。
(写真/文=Ian McEntire)
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