札幌の小さな本屋が見せた大きな「奇跡」著者の故久住邦晴氏(撮影:クスミエリカ)
資金繰りに窮する日々。それでも、あるべき姿を追い求めて奮闘した、伝説の本屋の記録。『奇跡の本屋をつくりたい』の解説を書いた中島岳志氏に聞いた。
大手書店が扱わない本を売った
──著者の久住邦晴さんの一周忌に、遺稿を基に出版されました。久住さんは時代と戦ってる人でした。2003年、まず「なぜだ⁉ 売れない文庫フェア」というのを始めた。これは小泉(純一郎元首相)構造改革のど真ん中。札幌も地元の本屋さんや小売店がナショナルチェーンに侵食され、弱肉強食、新自由主義の時代でした。その荒波の中で地方とか“小商い”とか、今後大切になっていくものを先取りしようとしていた。
たとえば、新潮文庫は売れてる順にS、A、B、Cとランク分けしていて、1501位~最下位は無印。大型書店はCランクまでは置くけど、無印本は置かないそうです。だったらこの無印本を集めてフェアをやろうじゃないか、と久住さんは考えた。開催中いちばん売れたのが下村湖人の『次郎物語』。だけど大抵の大型店は置いてない。置かないから存在しないことになる、そして本が死んでいく。これに「ちょっと違うよ」という流れを作りたかったのだと思う。──久住さんとは地元財界のパーティで出会ったのでしたね。
北海道大学に赴任して数カ月、あいさつをしろと言われて出席したんですが、あまりに退屈で、1人ポツネンとしてたら、当時書店組合の理事長をしていた久住さんが寄ってきてくれた。「『中村屋のボース』を書いた中島さんですよね、何でいるの?」みたいな。「うちは本屋なんですけど」「どんな本屋さんなんですか?」「ちょっと変な本屋で」と話してくれた。
──そこからが急展開。翌朝一番に店へ駆け付け、たちまちとりこになり、この町に住もうと、その足で不動産屋へ直行した(笑)。
あんな本屋を見るのは初めてでした。入り口近くに普通に『小学1年生』や『文芸春秋』が積んであり、奥へ行くと売れない文庫フェアだの「本屋のオヤジのおせっかい 中学生はこれを読め!」だのをやっていて、誰も拒絶していない。いい本屋さんだなと思いました。当時から東京などにセレクトショップ風のシャレた本屋はあったけど、書店主の自意識を見せられてる感が強くて、面倒くさいなと思ってたから。
拡大成長より持続することに意味がある
そのうち、何か一緒にやりましょうということで、併設のカフェに北大の同僚を連れていき、政治の話をする「大学カフェ」というのを始めました。ちょうど小泉内閣が終わって第1次安倍(晋三)内閣が始まり、その後短命政権が続く混乱期。リーマンショックだ、派遣切りだ、地方はボロボロだと、時代の大きな転機にあった。中島 岳志(なかじま たけし)/1975年生まれ。京都大学大学院博士課程修了。北海道大学大学院准教授を経て、2016年から東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。インド政治、近代日本思想史研究(撮影:吉濱篤志)
弱者が淘汰されていく時代に、くすみ書房も綱渡りの経営でした。この書店が何とか生き延びることは、僕の政治学にとっても重要だという感覚があった。
──久住さんとの出会いが、中島さんに何か変化をもたらした?非正規雇用にシフトするとか、非常に生きづらい時代になっていて、政治学者として何を言えばいいのか。そこで地に足が着いてなければ何も聞いてもらえない。札幌に来て久住さんと出会って、地方の抱えるさまざまな問題が東京発の新自由主義と連動しているのが見えてきた。
それなら僕は、目の前のシャッター通り商店街とか借金まみれの小売店、零下10度の中で寝場所がないホームレスの人たちの側から物を考えたほうがいいんじゃないかと思った。そしていろんな活動を始めました。札幌での10年がなかったら、僕は政治学者として上滑りしてたと思う。学界のほうを向いて論文を書いて、評価を受ける。そんなあり方が、政治学という学問に対する誠実な姿勢に思えなくなってきた。
──地方の現実に寄り添う。
ほかにも久住さんに影響を受けて、小さな、でもちゃんとした本屋さんができ始めている。もっと言うと小商い。拡大成長よりも持続。ダウンサイズしてでも続けていくことに価値がある時代です。それをやっていかないと地方はまったくもたない。利潤追求のナショナルチェーンは当てにせず、小商いで持続可能な生活世界を作っていくこと。それがくすみ書房のあり方で、久住さんの“奇跡の本屋”とはそういうことなんです。
まずは場所代がかからない。普通の資本主義経済ではない、一種の贈与みたいなものが含まれる商売の形。「本屋がないと困る」と思った人が「空き家があるから使って」と言ってくれる。利益は出なくても最低限の運営費は賄える。そんな形態がないともう本屋なんてなくなるよ、絵本を探しに子供を連れていく場所がなくなるよ、と言いたかったんだと思う。
これが正解と押しつける人ではなかった
──ネット通販の普及で、どこに住んでいても一応本は買えますが。
地方に住むと、アマゾンなしに生活は成り立たない。都会では想像もできないような環境が地方には出来上がっていて、いきなりアマゾンなんです。けどもその前に、どんな本があるのか、どんな世界があるのか、やっぱり本屋さんへ行ってザーッと見て、表紙の感じがいいとか、気になる本をふと手に取るところから世界が開けていく。