映画「真実」を夫と観ました。
友達のFBから刺激されたのと、9月に観た「教えて ドクター ルース」の予告映画で宣伝していたのを覚えていたからです。
一体どういうことだろう
「真実」って・・・・ミステリー? 何だろうってかなりずーっと映画見入ってました。
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「真実」とか「事実」はうごかせないものだと、信じてきましたが「アドラー心理学」を学んでから
「事実」は、事柄は1つであっても自分の受け止め方でいくらでも変わる。ということが分かってきたのと、私自身の体験から、それを感じることがあったので、この映画は、それを言いたいのかなと思っていました。
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私にとっての事実とは、亡き父の激高した・気まぐれな暴力でした。非力な私は怯えて育ち、しかし父から可愛がられたいと、子供の私から父のゴキゲンをとり、可愛がられる為に「ピエロ」になることを選んで育ちました(というか、自分を育てました)
19歳。高校を卒業して名古屋に住むようになり実家を離れましたが、その1年後に父は「脳溢血」で死亡します。
なんの寂しさも悲しさも感じられなかったお葬式
棺に横たわるのを見ても今生の別れ。見納めの寂しさなどの感傷はありませんでした。
「わがままで 癇癪持ちで 母も苛め私も苛めてきた男が とうとう死んだ」「もっと早く死ぬべき男だった」「セーセーした」のでした。
兄弟で嘆き悲しむ者はいなかった。
その後も法事だ。なんだかんだと兄弟が集まった時も、母を含めていかに父が暴力を振るってきたか 馬鹿な男だったと死者への恨みつらみを言い合ってうっぷん晴らしをしていました。
それが、父と私の「真実」だと45歳位まで思っていました
私も子育て真っ最中の年代になり、お金の心配をしないで暮らせる日はなくなりました
そうして思いだしたのです
確かに父は私や兄弟を良く殴った(兄弟はわたしより13.10.7歳離れているから殴られた現場は見ていません)
が、私の学校などの要るお金は母を通じて渡してもらっていたし、
夜中に眠っている私の布団をはがして蹴り起こされることもなかったし、ご飯だって、私だけ特別少なかったり、差別されたことはなかった。
田舎の寄り合いや行事の折に出される 当時珍しい甘い練り物やおかずの箱を父は手つかずで持ち帰ってきてくれた。
それを長兄が物差しで計り、家族全員くじ引きをして「頂いた」
・・・・ということは、私は父の逆鱗に触れたことはあったけれど
子どもなんかどうでもいいと
思っていたわけじゃなかったんだと思え始めました。
私が得たかった「私を愛して!可愛がってほしい!!」は、当時は理解できなかったけれど、与えられていたんだってこと。
人は自分のメガネでものを見る・そしてそれは自分を守る為、自分に都合よく映るようになっている。だからどのようにでも変わる(アドラー心理学の要旨)
まさに、今回の「真実」は母からの、娘からの
それぞれのメガネを通して見ていた・信じ込んでいた ものだと感じました。
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吹き替えで観ましたが、ブリジッド・バルドーの声は宮本のぶこさんでした。とてもしっくり合っていました。
宮崎あおいさんは娘役の方
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/e5/f79450e9879985ac8133e5085dbd61c0.png)
そこからファンになりました
ドヌーブじゃないと出来ない映画に魅かれます
「シェルブールの雨傘」のように
「真実は自分のメガネ」で見ている。。
本当にそうだと思います
はじめまして
カトリーヌ・ドヌーブさんの映画は観たことがありません。
でも、すごくよかった(奥域が感じられた)
映画の中で、だんだんと自分の心を打ち明けられる母になっていく。
これは年齢を重ねてこそできることだと思いました。
私自身、子供たちの反面教師でお恥ずかしいのですが、その時期・その時期精いっぱいだったから、子供に良いもの・良いことを沢山与えられなかった反省は多いです。
子どもたちも30~40歳の年齢を迎え、子育ての渦中にいやがうえにも巻き込まれていくことになります。
そんなとき ウンウンとうなづいて聞き役になれれば。
そしたら私の最後の出番があるのかも知れないな~なんて思っています。
コメント嬉しかったです