おはようございます。見出しのように昨日から調子を取り戻した私です。
そんな訳で、気になっていた映画「あちらにいる鬼」を観てきました。
(メインキャスト 寺島しのぶ・豊川悦治・広末涼子)
この三人の実力者がどんな風に「不倫」を描いているのか、どう考えているのか?どのように恋に苦しんでいるのか? その描き方にとても興味を持っていました。
が、映画を観終わった今でも「さっぱり分からない」。
恋という「非日常的な心の動きに」は「感動も想像力も 必要なのだろう」と思います。
その点、今の私には想像力に欠けているなと。
私、寂聴さんを好きでした。
実際にお会いしたことはありませんが本や動画などを観て、「許される」気持になれると感じてました。
が、映画の「みはる」からは、
「凛としたところが感じられず」
「引き込まれていく愛は、肉欲的で」
「簡単うそをつく男に身をゆだねる時が嬉しくて」
「その男は、自分から〇〇したい。とは言わず」
「まるで相手がこうしたい」と思わす言葉づかいで、結局自分を優位を保ちたい人間だった。
みはるが仏門に入るその時も「これでさっぱり これまでのことを そぎおとして生きる」風ではなく、その男の関心を引くための手段でもあったのかと思うと、がっくりしましたが、どんな人でも そういうところはありますね。
私、寂聴さんに嫉妬してんのかな。
私、寂聴さんに嫉妬してんのかな。
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