京都を旅行した時に、予約した宿がたまたま明智光秀が挙兵した場所に近かったことで、彼の足跡を辿ることができたことは以前書きましたが、似たようなことはパリを旅した時にもありました。
パリでホテルを探した時に一番優先したのは、なるべく高層階でテラスがあるというものです。そこから街を眺めながら、コーヒーを飲むというのが最もしてみたいことでした。City View, Terraceというのをキーワードに入れて調べたところ手頃な部屋がマレ地区のRepublique駅のそばにあり、そこで予約を入れました。例によって予約を入れてから周辺の情報を調べたのですが、この宿から150メートルも離れていないところにタンプル塔の跡があることが分かりました。タンプル塔というのはフランス革命時に国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネットの一家が幽閉されていた建物です。特に王太子のルイ・シャルルは両親が処刑された後も幽閉され続け、体調が悪くても医者にも診てもらえず放置され、わずか10歳で衰弱死してしまいます。このエピソードを知ってから、レ・ミゼラブルで描かれているような「革命軍は善、王党派は悪」というのが必ずしも正しいとは言えないと思うようになりました(当時4歳だった子供に政治的な罪はないはずです)。決して観光地というわけではありませんが、歴男としてはこういう場所を見逃すわけにはいきません(笑)。
ホテルを後にして5分も歩くと右手に公園が見えてきます。この公園がタンプル騎士団の修道院の跡地で、その周辺の道路に塔の跡を示す白線が引いてあるという情報を得ていたので足元に注意して歩いていると、見つけました。薄いですがきちんと正方形の線と側塔を示す円が引いてあります。すぐ脇にあった図書館のスタッフの方に話を聞いてみたのですが、この白線と図書館の壁に埋め込まれたプレートだけが現在のところタンプル塔を示す唯一のものだということでしたので、フランス国内でもそれほど広く知られている場所ではないようです。
その日の夜、小さな子供が楽しげに走りまわる音で目が覚めました。時計を見ると午前2時過ぎです。窓から下の通りを見ますが人影はありません。隣のベッドルームでは妻と娘がぐっすり眠っています。夢だったのかな、と思いながら静まり返ったリビングに戻りました。ソファベッドにもぐりこみながら、ひょっとしたらと思いました。ルイ・シャルルが遠い国から自分を訪ねてきた物好きな男に会いにきてくれたのかもしれない。。。。そうだったらいいのにな、と思いながらまた眠りにつきました。
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