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新高崎競馬のこと1

2005年03月21日 | 競馬・乗馬・馬
そもそも人間は、
争いから避けられない動物なのでしょう。
肉食する動物だから、弱肉強食を伴うということ。
鮎のように、縄張り争いをする習性があって、
その遺伝子が今でも残っているということ。
動物園の猿山のように、集団で生活をする際はボスを決め、
その保護下で安定を得るといういうこと。

現代におけるスポーツというのは、
こういった抑圧された潜在意識の
はけ口として発展しているのかもしれません。
だから逆に、オリンピックは平和の祭典であり、
スポーツは平和の象徴でありえるのでしょう。
戦時中に「スポーツを楽しむ」余裕はないでしょうから。

私自身のことですが、
「スポーツ観戦」が好きです。
これは、白黒をつけたがらず、争いを好まない、
そういう自分の性格の裏返しだと思っています。
ちなみに、「釣り」が好きというのも、
狩猟本能を満たしたいという
原始的な欲望があるからなのだと思っています。

「闘鶏」「闘犬」「闘牛」そして「競馬」、
とても野蛮な競技ではありますが、
いろいろな国で自然発生するものですね。
人間の「格闘技」もそうです。
ルールは異なっていても、誰が一番強いのかを競わせ、
予想したり、賭けたり、自慢したり、そういうことは同じです。
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