代々木ゼミナール編の「2007新小論文ノート」という本(参考書)に、
椿本昌夫先生のエッセイ(ワンポイントアドバイス)が収められています。
とても懐かしく、感慨深いものがあります。
書き下ろしなのだろうか?
先生は元気にしているのだろうか?
気になります。
私は浪人時代、代々木ゼミナールでお世話になりました。
森久(森島久雄)先生と椿本昌夫先生には影響を受けたなぁ。
彼らに教わることが出来て、私はラッキーだったと思う。
誇りに思っているし、その影響は計り知れない。
まだ教壇に立っているのなら、また教わりたいなぁ・・・
椿本昌夫先生のエッセイ(ワンポイントアドバイス)が収められています。
とても懐かしく、感慨深いものがあります。
書き下ろしなのだろうか?
先生は元気にしているのだろうか?
気になります。
私は浪人時代、代々木ゼミナールでお世話になりました。
森久(森島久雄)先生と椿本昌夫先生には影響を受けたなぁ。
彼らに教わることが出来て、私はラッキーだったと思う。
誇りに思っているし、その影響は計り知れない。
まだ教壇に立っているのなら、また教わりたいなぁ・・・
青春時代の思索力アップに大変役立ったように記憶しています。
20年前のことなので、すっかり古文のことは忘れてしまいましたが、先生のダンディな姿は、今でも忘れられません。
折からの台風に見舞われた9月のある日。先生が、
「風が泣いているって、いい表現だよね」と言いながら、芭蕉について語ってくれました。その風の音と
先生の声とに紡ぎだされる芭蕉の姿に、文学の面白さそのものを教えて頂いたように感じています。
大学の進路にも、職業にも、激しく先生の影響を受けたまま現在に至ってます。教わるというより、何か沁みてくるような講義でした。
大昔(1990年)のことですが、朝日新聞の日曜版で、椿本先生の文章を読むことができたのです。
あの時私は、<これで先生も全国区になるのかな>とか、<連載をまとめた本が出版されるのかな>なんて期待していました。
けれども結局、先生は予備校の教壇に立ち続け、ずっとその連載が続くことはありませんでした。あの時は、なんとも残念に思いました。
<沁みてくるような講義>
そう、確かにそういう講義でした。「感動」とか「癒される」とか「ためになる」とか、そういう陳腐な言葉ではなく、確かに<沁みてくるような講義>でした。だから、<懐かしい>というような一言で片付けられるものではありません。先生の言葉の数々は、今でもずっと生きています。
私がお世話になったのは1987年です。服装も決っていましたが、教室に入ってくる時や、教壇に上がる時の、風を切るようなその一瞬もカッコよかったです。憧れました。
当時、代ゼミの雑誌(名前は忘れました)に「道標」というコラムのページがあって、その中に先生は<いつまでも、打ちつづけるつもりでしたと、浜田はいった>という名文を寄せています。その中で先生は「<燃えられなくなった>70年代」という書き方をしています。
2008年の今、先生はどんな言葉を生んでいるのでしょう。
ごめり氏にとって先生は、文学の道に誘ってくれた恩人だったのだそうです。そうしてまた、学習することの楽しさを教えて下さった方でもあったのだそうです。
講義の最後に必ず、先生が本を紹介して下さっていたのですね。それは例えば「あすなろ物語」や、「敗れざる者たち」だったのだそうですが、先生からも、そして、それらの本からも、とてつもない影響を受けたのだ、とも、申しておりました。
ごめり氏は、あの頃が懐かしい、とは思っていないですって。つまり、ようやくスタートラインに立ち、椿本先生が笛を吹いて下さり、まだ同じ道を歩き続けているのだそううです。
>先生のこと4... への返信
もうご覧になっていないかもしれませんがの先生のことをよく知っておられる先生によると死去なさったようです。
僕に文学を目覚めさせ、
そういう意味で、
僕を不良にさせて下さった、
恩人でした。