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「善き人のためのソナタ」

2011年03月25日 | 映画
一昨日、久しぶりにツタヤに行きました。

ちゃねりセレクションでしたが、うまい具合に、「劇画 ヒットラー」の続き(この漫画もちゃねりが借りてきたのですが)になりました。

「善き人のためのソナタ」

いいタイトルだと思います。

直訳なのでしょうか(ドイツ語は全くわかりません)。



旧東ドイツを舞台にした映画です。

ゲシュタポふたたび、です。

歴史は繰り返します。

学ぼうが、何をしようが、人間自体は変わらないので、何度でも繰り返します。

どんなに痛い思いをしても、忘れてしまうことがあります。

例えば、この映画では、いろいろな欲が描かれています。

欲は、変わらないし、万国共通だし、普遍的。

でも、金銭欲は描かれていないな・・・。

描きようがなかったのか、それとも、それが旧共産圏としての最低限のプライドだったのか、私にはわかりません。

いずれにしても、なんというか、自国のことを客観視するのは難しいですよね。

でも、他国のことであれば、それなりに冷静に見ることができるような気がします。



キリストですらユダを生み、ブッダですらダイバダッタを生んだ。

これは、私がずっとこだわっているテーゼです。

キリストやブッダだからこそ生んだのか、あるいは、まして凡人は、なのかが、わからないのです。

わからないからこそ、例えば山本周五郎は、小説を書いたのだと思います。

小説でしか書けないのだと思います。

それは、おそらく、何かを手がかりにして書いていたと思うのですが、その手ががりを、この映画は音楽に求めようとしているように思いました。



音楽って、善いとか悪いという概念が相対的なものであることを、教えてくれます。

音楽って、悦びであると同時に、残酷なものです。

笑いたい時に涙が止まらないような残酷さ。

恋愛と同じような残酷さ。

例えば、あなたの大好きな曲を思い浮かべてみて下さい。

そして、あなたの大嫌いな人の顔を思い浮かべてみて下さい。

もし、あなたの大嫌いな人が、あなたの大好きな曲を好きだったら、それって残酷じゃないですか?

そうそう、テクニック的なことですが、案外麻薬の存在が、スパイスのように効いていると思いました。

そうでないと、リアリティに欠けてしまう部分が多すぎると思いました。

自動車にひかれて、まだ息がある時は、先ずは救急車を呼びましょう!

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