一昨日、久しぶりにツタヤに行きました。
ちゃねりセレクションでしたが、うまい具合に、「劇画 ヒットラー」の続き(この漫画もちゃねりが借りてきたのですが)になりました。
「善き人のためのソナタ」
いいタイトルだと思います。
直訳なのでしょうか(ドイツ語は全くわかりません)。
旧東ドイツを舞台にした映画です。
ゲシュタポふたたび、です。
歴史は繰り返します。
学ぼうが、何をしようが、人間自体は変わらないので、何度でも繰り返します。
どんなに痛い思いをしても、忘れてしまうことがあります。
例えば、この映画では、いろいろな欲が描かれています。
欲は、変わらないし、万国共通だし、普遍的。
でも、金銭欲は描かれていないな・・・。
描きようがなかったのか、それとも、それが旧共産圏としての最低限のプライドだったのか、私にはわかりません。
いずれにしても、なんというか、自国のことを客観視するのは難しいですよね。
でも、他国のことであれば、それなりに冷静に見ることができるような気がします。
キリストですらユダを生み、ブッダですらダイバダッタを生んだ。
これは、私がずっとこだわっているテーゼです。
キリストやブッダだからこそ生んだのか、あるいは、まして凡人は、なのかが、わからないのです。
わからないからこそ、例えば山本周五郎は、小説を書いたのだと思います。
小説でしか書けないのだと思います。
それは、おそらく、何かを手がかりにして書いていたと思うのですが、その手ががりを、この映画は音楽に求めようとしているように思いました。
音楽って、善いとか悪いという概念が相対的なものであることを、教えてくれます。
音楽って、悦びであると同時に、残酷なものです。
笑いたい時に涙が止まらないような残酷さ。
恋愛と同じような残酷さ。
例えば、あなたの大好きな曲を思い浮かべてみて下さい。
そして、あなたの大嫌いな人の顔を思い浮かべてみて下さい。
もし、あなたの大嫌いな人が、あなたの大好きな曲を好きだったら、それって残酷じゃないですか?
そうそう、テクニック的なことですが、案外麻薬の存在が、スパイスのように効いていると思いました。
そうでないと、リアリティに欠けてしまう部分が多すぎると思いました。
自動車にひかれて、まだ息がある時は、先ずは救急車を呼びましょう!
ちゃねりセレクションでしたが、うまい具合に、「劇画 ヒットラー」の続き(この漫画もちゃねりが借りてきたのですが)になりました。
「善き人のためのソナタ」
いいタイトルだと思います。
直訳なのでしょうか(ドイツ語は全くわかりません)。
旧東ドイツを舞台にした映画です。
ゲシュタポふたたび、です。
歴史は繰り返します。
学ぼうが、何をしようが、人間自体は変わらないので、何度でも繰り返します。
どんなに痛い思いをしても、忘れてしまうことがあります。
例えば、この映画では、いろいろな欲が描かれています。
欲は、変わらないし、万国共通だし、普遍的。
でも、金銭欲は描かれていないな・・・。
描きようがなかったのか、それとも、それが旧共産圏としての最低限のプライドだったのか、私にはわかりません。
いずれにしても、なんというか、自国のことを客観視するのは難しいですよね。
でも、他国のことであれば、それなりに冷静に見ることができるような気がします。
キリストですらユダを生み、ブッダですらダイバダッタを生んだ。
これは、私がずっとこだわっているテーゼです。
キリストやブッダだからこそ生んだのか、あるいは、まして凡人は、なのかが、わからないのです。
わからないからこそ、例えば山本周五郎は、小説を書いたのだと思います。
小説でしか書けないのだと思います。
それは、おそらく、何かを手がかりにして書いていたと思うのですが、その手ががりを、この映画は音楽に求めようとしているように思いました。
音楽って、善いとか悪いという概念が相対的なものであることを、教えてくれます。
音楽って、悦びであると同時に、残酷なものです。
笑いたい時に涙が止まらないような残酷さ。
恋愛と同じような残酷さ。
例えば、あなたの大好きな曲を思い浮かべてみて下さい。
そして、あなたの大嫌いな人の顔を思い浮かべてみて下さい。
もし、あなたの大嫌いな人が、あなたの大好きな曲を好きだったら、それって残酷じゃないですか?
そうそう、テクニック的なことですが、案外麻薬の存在が、スパイスのように効いていると思いました。
そうでないと、リアリティに欠けてしまう部分が多すぎると思いました。
自動車にひかれて、まだ息がある時は、先ずは救急車を呼びましょう!
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