ごめり語。

ごめり・りんご・「   」

大丈夫ではない。万全を期するべきです。

2011年03月24日 | 日記
「大丈夫。もう心配するのはやめよう。」

そう言ってしまった手前、引っ込みがつかなくなってしまった、というのが正直なところです。

基本的に、私自身のスタンスは変わっていません。

そもそも私は、昔、人前で平気でタバコをプカプカ吸って、撒き散らしていた人間なのです。

むろん、これが例え話にならないことは、承知しています。

でも実際、実害(ガンになるリスクなど)は、タバコの方が高いのではないでしょうか。

少なくとも、震災以降に福島第一原発から発せられているヨウ素を、ここ狭山で浴びるよりは。

今後仮に、セシウムが大量に検出されるような事態になれば、それは、

「大丈夫ではないが、心配しても仕方がない。」

というレベルだと思います。

仮に再臨界が起きるなどの事態があって、ストロンチウムが検出された時には、食べることを躊躇します。

いずれにしても、これは、文明を享受した人間の報いであるからして、もしそれが元で身体に変調をきたしても、文句は言えないという前提があります。

もし私に扶養する子供がいたら、こんな悠長なことは言っていられません。

私は放射能の専門家ではありませんし、子供には選択の自由がなく、親が守るしかないからです。

以上、ここまでの作文は前ふりです。

実際、出荷制限だの、摂取制限だのって言う前に、先ずは外出制限だろう、と思っているのです。

どうして、食べるのはダメで、浴びるのはオーケーなのでしょうか。

皆さん、洗濯物はどうしていますか?

口に入るものを云々するのであれば、同時に、念の為、子供たちに外出制限を、というのが私の主張です。

レインコートで登校でもいい。

風向き注意報。

すでに格納容器の破損も認められているようですし、再臨界の可能性だって消えたわけではないのですから。

あの黒煙(白煙ではなく)の原因は何だったのだろう、誰だって気になると思いますし、念には念を入れるのは当然です。

制限そのものはもう決まったことだし、尊重します。

もうこれ以上、ああだこうだ言わないようにしたいのですが、約束はしません。

昨日は、地元の無人販売所で売っていたホウレン草を食べました。

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