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はじめての落語(はじめての小三治)

2011年07月02日 | 落語・寄席
一昨日、6月30日(木)の話です。

新宿末広亭に行ってきました。

2度目の寄席ですが、あえて、「はじめての落語」というタイトルにしました。

前回は、ほとんど前知識なしで行ったので、寄席の雰囲気に圧倒されてしまい、落語を楽しむような心の余裕がありませんでした。

でも今回は、いろいろと本を読んで、自分なりに勉強をして、寄席に行きたいからではなく、聴きたい噺家がいるから寄席に行ったんです。

というわけで、今回のタイトルは「はじめての落語」にしました。



一昨日は、夜勤明けでした。

帰宅して、12時頃に寝て、15時頃に目が覚めてしまった(暑かったから)ので、本来なら、寄席に行けるような状態ではありませんでした。

だって、居眠りしたら失礼じゃないですか。

私の場合、いびきもかきますし。

でも、小三治、だったんです。

トリ(夜の部主任)が柳家小三治で、しかも、楽日(=らくび。千穐楽のこと。はからずも、小三治師匠が、この日のマクラで語っていました。)だったんです。

例えば、広瀬和生さんの「この落語家を聴け!」という本の中で、立川談志と柳家小三治は、別格扱いになっています。

こう書いてあります。

小三治が真価を発揮しているのは「今」なのである。CDやDVDでは小三治落語の真の魅力は絶対に判らない。ぜひ「今の小三治」を観ておくべきだ

観に行きたくなりませんか?

家を出る時、ちゃねりに、こんな風に言い残しました。

「今日の落語が面白かったら・・・オレ・・・落語にはまっちゃうかも」

ちゃねりは、たぶん、こう思ったに違いありません。

「なにを、今さら、与太郎さん。もうどっぷり、はまっているように見えますけど。」

でもね。

小三治を観て、それでつまらなかったら、オレ、落語のセンスがないんだろうな、そう思ったのも事実なんです。



夜の部から観ました。

最初の出演者は、広瀬さん曰く<期待の女流・こみち>の、柳亭こみちでした。

相互出演だったこともあって、ラッキー!と思いました。

その後、ホンキートンク(漫才)、市馬(なぜか早く出てきた)、蔵之助、アサダ二世(奇術)、歌る多、種平、正楽(紙切り)、吉窓と続いて、中入り前は、さん喬でした。

柳家さん喬。

素晴らしい!

検索して調べたら、「棒鱈」という演目でした。

むろんはじめて聴きましたが、大爆笑でした(笑)

寄席に、古典落語の知識なんぞ、不要です。

これ、結論です。

むろん、他の噺家さん、芸人さんも面白かったけれど、さん喬は、私のような初心者が寄席で観るには、とても適した方だと思いました。

寄席の出演回数も多いですし。

なんだかもう、中入り前だけでも十分満足でしたが、まだまだ続きます。

中入り後は、燕路、大瀬ゆめじ・うたじ(漫才)、さん福、志ん輔、勝丸(太神楽)と続いて、トリはもちろん、小三治。

マクラはそんなに長くありませんでした(小三治のマクラは長くて面白いと、多くの本に書いてあります)。

なんというか、会場の雰囲気がガラっと変わって、誰も彼もが、小三治の一字一句を聴き逃すまいとしている感じになりました。

緊張感もあるけど、ほのぼのとした雰囲気も漂うような、独特な感じでした。

そんな雰囲気の中で、小三治師匠の落語は、最高に面白かったです(笑)

「青葉」という演目でしたが、なんというか、演目とか、落語とか、寄席とか、もうそんなことはもうどうでもよくて、日本語のわかる人が、あの場所で、小三治師匠の世界に触れたら、それはもう、誰彼なく、幸せになってしまうような、そんな芸だと思いました。



立川談志曰く「落語とは、人間の業の肯定だ」なのだそうです。

本当にそうなのかどうか、私にはよくわかりません。

ただ、「人間の業の肯定とは、つまり、愛なのではないか」とは思います。

もしかしたら、立川談志は、本当は、「落語とは、人間の愛だ」と言いたかったのに、照れてしまい、「業の肯定」と言ったのかも、なんて。

例えば、「夫婦とは、人間の業の肯定だ」というのはどうでしょう?

これが正しい考え方かどうかは別にして、そういう考え方もある、とは思いませんか。



gooブログのジャンルに「落語」はないんですね。

こんちくしょう、です。

だから、というわけではありませんが、「落語」カテゴリーを追加しました。

また寄席に行きたいです(笑)

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