東京電力からあまり見かけない様式の葉書が届きました。何だろうと思って開封してみたら、何のことはない、利用明細でした。様式を変えたのかな、と最初は思ったのですが、どうもそうではなく、震災の影響による特別仕様のようです。それは、例えはちょっと違いますが、引き落とし口座が残高不足だった時に、その旨を伝える通知のような、そういう感じの仕様です。
「非常変災の影響により検針にお伺いすることができませんでしたので、先月分と同様のご使用量とさせていただきました。」
下の方に、付け足し程度に、小さな文字で印刷されていました。呆れて物が言えません。開いた口がふさがりません。だんだん怒りがわいてきました。顧客を何と考えているのでしょう。やっぱり、供給してやる、っていう態度、体質なんでしょうね。気にしすぎかな、とも思います。でも、こういう時だからね。皆がナーバスになっている時だからね。やっぱりまずいでしょう。これは。
東京電力の社員の方が、一日も早い復興に向けて、一生懸命働いて下さっているのはわかっています。命をかけて働いて下さっている方がいることも、当然承知しています。でも、そういう問題ではありません。検針に来られられなかったのは、東京電力さんの都合です。先月と同じ使用量で請求するもの、東京電力さんの都合です。でも、そういうことに対してですら、今の私たちは許容しているのです。事情が事情だけに仕方のないことだと思っているのです。問題なのは、そのことについての理解を求める文章、もっと具体的に言えば、お詫びの一文が入っていないことなのです。腹を立てしまう原因なのです。百歩譲って、文字数の制限があったとしましょう。が、それにしても、この作文はひどすぎます。「ごめり語。」以下です。私が添削しましょう。おしおきです。まぬけに馬鹿にされるなんて、東電始まって以来の屈辱だと心得て下さい。55文字ですよね。やってみます。
「震災の影響により、今回の検針は見送らせて頂きました。先月と同様のご使用量とさせて頂いたこと、何卒ご理解下さい。」
同じか・・・。でも、実際問題として、スペースは余っているので、55文字が制限ということはないと思います。もう少しなんとかなると思います。この葉書には、ご丁寧にも、次の一文が添えられています。無神経すぎます。
「電気はムダなく上手にお使い下さい。」
そんなことはもう、心ある人は誰もが実施していますから。計画停電がどうのではなくて、自主的にやっていますから。われわれ自身が蒔いた種だという自覚もあるんですから。でも、やはり、どれだけ迷惑をかけていると思っているのさ、とも思ってしまうのです。われわれが節電すればするほど、儲からないのでしょうか、東京電力さん。放射能被害を受けた農家の補償をするような話をしているけれど、どうせ税金投入でしょ、って思ってしまうんです、東京電力さん。
以上、うわ~ん、暴れてやるぅ~、ってな感じで、勢い余ってしまいました。言いたいことをぶちまけてしまえば、少しは怒りもおさまります。でも同時に、自己嫌悪もあるんですよ。傷つきます。だからなるべく現実逃避をしようと思って、テレビを見ないようにしているというのに、届いた葉書がこれじゃぁ、何なのかと思ってしまいます。どれだけ書いても、すっきりしません。むなしさだけが残ります。がんばって下さい、東京電力さん。
追記
今日(4月5日)になってようやく、「平成23年3月の検針中止に関するお詫び」というハガキが届きました。
再度追記
今日(4月15日)、「3月分の検針中止に関するお詫び」というチラシと「電気使用料のお知らせ」がポストに入っていました。「電気使用料のお知らせ」は、実際は使用料のお知らせではなく、3月分の領収書でしかありません。というのも、<(4月分の)ご請求金額等につきましては、別途、ご案内いたします。>だからなのです。無駄なコストですよね。その無駄は、将来的には電気使用量に反映され、さらにその先には、おそらく公的資金(税金)の投入という事態になるのでしょう。東京電力の問題というより、この国の形に関する問題なのだと思いました。
「非常変災の影響により検針にお伺いすることができませんでしたので、先月分と同様のご使用量とさせていただきました。」
下の方に、付け足し程度に、小さな文字で印刷されていました。呆れて物が言えません。開いた口がふさがりません。だんだん怒りがわいてきました。顧客を何と考えているのでしょう。やっぱり、供給してやる、っていう態度、体質なんでしょうね。気にしすぎかな、とも思います。でも、こういう時だからね。皆がナーバスになっている時だからね。やっぱりまずいでしょう。これは。
東京電力の社員の方が、一日も早い復興に向けて、一生懸命働いて下さっているのはわかっています。命をかけて働いて下さっている方がいることも、当然承知しています。でも、そういう問題ではありません。検針に来られられなかったのは、東京電力さんの都合です。先月と同じ使用量で請求するもの、東京電力さんの都合です。でも、そういうことに対してですら、今の私たちは許容しているのです。事情が事情だけに仕方のないことだと思っているのです。問題なのは、そのことについての理解を求める文章、もっと具体的に言えば、お詫びの一文が入っていないことなのです。腹を立てしまう原因なのです。百歩譲って、文字数の制限があったとしましょう。が、それにしても、この作文はひどすぎます。「ごめり語。」以下です。私が添削しましょう。おしおきです。まぬけに馬鹿にされるなんて、東電始まって以来の屈辱だと心得て下さい。55文字ですよね。やってみます。
「震災の影響により、今回の検針は見送らせて頂きました。先月と同様のご使用量とさせて頂いたこと、何卒ご理解下さい。」
同じか・・・。でも、実際問題として、スペースは余っているので、55文字が制限ということはないと思います。もう少しなんとかなると思います。この葉書には、ご丁寧にも、次の一文が添えられています。無神経すぎます。
「電気はムダなく上手にお使い下さい。」
そんなことはもう、心ある人は誰もが実施していますから。計画停電がどうのではなくて、自主的にやっていますから。われわれ自身が蒔いた種だという自覚もあるんですから。でも、やはり、どれだけ迷惑をかけていると思っているのさ、とも思ってしまうのです。われわれが節電すればするほど、儲からないのでしょうか、東京電力さん。放射能被害を受けた農家の補償をするような話をしているけれど、どうせ税金投入でしょ、って思ってしまうんです、東京電力さん。
以上、うわ~ん、暴れてやるぅ~、ってな感じで、勢い余ってしまいました。言いたいことをぶちまけてしまえば、少しは怒りもおさまります。でも同時に、自己嫌悪もあるんですよ。傷つきます。だからなるべく現実逃避をしようと思って、テレビを見ないようにしているというのに、届いた葉書がこれじゃぁ、何なのかと思ってしまいます。どれだけ書いても、すっきりしません。むなしさだけが残ります。がんばって下さい、東京電力さん。
追記
今日(4月5日)になってようやく、「平成23年3月の検針中止に関するお詫び」というハガキが届きました。
再度追記
今日(4月15日)、「3月分の検針中止に関するお詫び」というチラシと「電気使用料のお知らせ」がポストに入っていました。「電気使用料のお知らせ」は、実際は使用料のお知らせではなく、3月分の領収書でしかありません。というのも、<(4月分の)ご請求金額等につきましては、別途、ご案内いたします。>だからなのです。無駄なコストですよね。その無駄は、将来的には電気使用量に反映され、さらにその先には、おそらく公的資金(税金)の投入という事態になるのでしょう。東京電力の問題というより、この国の形に関する問題なのだと思いました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます