ごめり語。

ごめり・りんご・「   」

ねはんの里の卵

2011年04月12日 | 食べもの
ねはんの里

1個約80円の卵。お取り寄せ。

放し飼いの鶏から生まれた有精卵。

私のブログ仲間が、高知まで行って、念願の養鶏をはじめて、ついに生れた卵たち。

応援して下さい!

きっと、昔懐かしい卵の味がすると思います。

ですから、どうでしょう、お父さん、お母さん。

もう一度食べてみたいと思いませんか?

時には贅沢に卵を食卓に彩ってみて下さい。

それなりの価値はあると思います。

例えば、家庭菜園でつくった野菜って、味が違いますでしょ。

あ、昔の味がする、これが本来の甘みなんだろうな、なんて、そんな風に思うこと、ありますでしょ。

卵に限らず、何でもそうだと思いますが、心底美味しいものって、やはりそれなりの値段がします。

烏骨鶏の卵みたいに、という例えが正しいのかどうか、それは全く自信がありませんが、少なくとも、ブランド卵だから高い、というわけではありません。

なんて、B級、というか、C級が大好きな私が主張しても、全く説得力がありませんよね・・・。

というわけで、困った時の師匠頼みです。

「近頃のスーパーなどで一ダースくらいずつパックされて売られているやつは無精卵で、子のかたまりでもなんでもない。あれを抱いて温めていたってひよこも何も出てきやしない。以前は、店先にあるたまごというものは、ピラミッド型にひとつずつ積まれているか、籾殻の中に埋まっているかしていた。主婦たちが掌にのせたり振ったりして、ひとつずつ選ぶ。小なれどもやはり生命あるものであり、それを喰べてしまうといううしろめたい実感があった。ものを喰べるということは必要欠くべからざることでありながら、うしろめたい、そこに微妙な味があったように思う。喰べ物も、パックなどされて現れてはおしまいで、文房具か石鹸のたぐいと変わるところがない。」

「それに、高価ではないにせよ、現今のように安くはなかったように思う。日常の喰べ物ではありながら、たまごはそれ相応の贅沢品であった。安くて、感動もなく量産されていて、くだらなく便利になってしまったな。地玉子、という名称は、生ソバ、という看板と同じで今はたいして意味のない形容になってしまったようだが、以前は、地鶏とか地玉子という言葉がちゃんと生きていた。東京周辺部では、多摩川沿岸がたまごの産地でね、割ると、ピンポン玉のような黄味がコリッとまるく盛りあがって崩れない。口の中に含むと、ねっとりして歯ごたえがある。生卵に歯ごたえという記し方が、大仰でないんだ。あの美味さは、今の若い人はもう知らないだろうな。」
「おうい卵やあい」色川武大

長い引用になってしまいました。この師匠の「おうい卵やあい」にはなんと、静岡の中村屋のことが書いてあります。これまた引用したいのですが、やめておきます。私の母は、生粋の静岡人です。その母が結婚して、埼玉に来て、ソバ屋で親子丼を注文して、最初に発した一言。「わたし、親子丼を注文したのに・・・」だったそうです。父もびっくりしたでしょう。目の前にあったのは、まぎれもなく、親子丼だったのですから。要するに、母にとっての親子丼とは、中村屋の親子丼のことであり、それは、卵とじではないのです。煎り玉子。炊き込みごはん。要するに、関東でいう、そぼろご飯。見た目も味も全然違います。母が心底びっくりしたのも仕方がありません。

Iさん、この親子丼こそが、我々親子にとっての、究極の親子丼、なのです。

「迷子の大人たち」さんへの手紙
この記事を書いたのは、エジプトのムバーラク政権が崩壊した時のことでした。インターネットの力。そして今また、日本でも、震災の後、インターネットの力が改めて再認識されてきているように思います。既存のメディアの多く(特にテレビ)が、大本営発表のような按配ですが、ネットが繋がっているからこそ、リアルタイムで情報を取捨選択することができるわけですし。

そうそう、Iさん、最近私はJAビルの地下にある農業書専門店に行きました。「ブタとおっちゃん」著者=山地としてる、という写真集とか、いろいろと面白かったです。

最後に思い出を書きます。小学生の頃、家族旅行で、山中湖に行ったことがありました。でも、湖畔ではなく、まるで樹海の中にあるような、そんなへんぴな場所にある宿に泊りました。そうそう、そこで、ミヤマクワガタを見つけて、びっくりしたことも覚えています。なにせ、我が家の近所には、ノコギリクワガタしかいなかったので。で、その宿の近くに、鶏肉の加工場がありました。コンベアーに吊るされたニワトリたちが、外からでも見えました。丸見えでした。そのニワトリたちの泣き声があまりにも凄かったので、いやがおうにも目に入ったのです。それが強烈な印象になって残っている、というだけの話です。でも、今でもいろいろと考えるのです。例えば、競走馬と鶏の一生はどう違うのだろう、とか。私は競馬が大好きなので。

追記(4月13日)

最後に書いた「思い出」の作文は、書いた自分が言うのも何ですが、何が言いたいのかさっぱりわからないし、それこそ蛇足以外の何ものでもありませんでした。すみません。要は、ねはんの里のように、広大な土地の放し飼いで元気にしている鶏たちと、逆に、スーパーのパック卵に代表される、檻の中で卵を産むためだけに生きている鶏との対比みたいなことを考えていたのです。ほら、一般的な養鶏って、メスだけが必要な世界で、だからこそ、それをヒナのうちに見分ける凄い技を持った方もいますでしょ。むろん、ねはんの里にはオスもいます。だからこそ有精卵なわけです。元気な鶏たちと、一生檻の中に押し込められて抗生物質漬けになっている鶏との対比。ちなみに、放し飼いの元気な鶏は鶏インフルとは無縁です。免疫力が高いからです。対して、檻の中の鶏は結局、ベルトコンベアーにぶら下げられて、ケンタッキーフライドチキンになるか、それとも、鶏インフルになって処分されてしまうのか。いずれにせよ、経済動物であるという点では競走馬に近い、というようなことを考えていたんです。「ブタとおっちゃん」のおっちゃんにとってのブタは、パートナーであり、ペットでもあり、可愛くて可愛くて仕方がない存在なのでしょう。でも、結局最後には喰われてしまう。だからこそ、その愛おしさや感謝の気持ちが、写真から伝わってくるんだと思います。以上、あまりにもひどい作文だったので、書き足しました。

コメント    この記事についてブログを書く
« たまごツイッター | トップ | 祝 南関東競馬再開 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

食べもの」カテゴリの最新記事