ごめり語。

ごめり・りんご・「   」

誰も知らない

2004年10月28日 | 映画
朝7時に会社に行った。
朝食に「緑のたぬき」を食べた。
仕事をしながらTHE YELLOW MONKEY の『SO ALIVE』を聴いていると、
緒方さんがびっくりしていた。
車で通勤中、彼も同じCDを聴いていたのだ。
お昼になると、
緒方さんも「緑のたぬき」を食べていた。
私は『誰も知らない』を思い出した。
映画の中で、主人公の兄弟が「緑のたぬき」を食べるシーンがある。
コンビニおにぎりや、カップラーメンがキーワードのひとつになっていた。

『誰も知らない』は心に残る映画だった。
妹さんの容態が悪化した時、兄は母に公衆電話で連絡を取ろうとした。
けれど、10円玉がなくなってしまって、会話出来なかった。
どうして諦めてしまったのだろう。
コンビニの店員、アパートや近所の住民、女学生、
どうして誰にも相談をしないのだろう。
「兄弟が離れ離れになってしまう」からなのか。
どうして女学生と一緒に羽田に行ったのだろう。
「妹が冷たくなって怖くなった」からなのか。
なぜ監督は最後にではなく、最初に「この作品は・・・」
というテロップを入れたのだろう。

監督さんでさえ答えられない疑問かもしれないし、
疑問に思う事自体おかしいことなのかもしれない。
もしかしたら、私がわからないだけなのかもしれない。
「誰も知らない」ということなもかもしれない。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
« たこ焼き | トップ | 木曾馬トレッキング »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (さと)
2005-06-10 17:37:26
こんにちは。私のブログにTB(実はよくわかっていないので失礼があったらごめんなさい)して下さっていたので覗いてみました。この映画はものすごく考えさせられますよね。子どもは悲しいほど親の考えをストレートに汲もうとします。他の人にSOSを求めたらいいのにって、大人なら思うけど親以外の大人を知らない子どもには思いつかないことなのではないかしら。あの母親だけではなくて社会全体の無関心さをリアルに描いてますね。子どもはみんなで守っていかなければいけないと思います。その気持ちを持った人が1人でもあの子達の周りにいたら、と思うし、現実に私自身も忙しさに取り紛れてどこかで悲しい思いをしている人たちを見過ごしているかもしれない、と思うしでこんなに余韻が残る映画に仕立てた監督はすごいと思います。
返信する
コメントありがとうございます (ごめり)
2005-06-11 13:59:18
是枝裕和監督のホームページは御覧になりましたでしょうか。この映画の感想がたくさん寄せられていて、反響の大きさに監督さんも驚いていらっしゃるようです。

映画を作りっぱなしにするのではなく、このように後フォローもされていて、偉いと思いました。

この映画の出来事に限らず、胸が痛くなるような事件が多いです。そんなニュースに接した時、せめて、何かの縁で自分の身近にあるもの、それくらいは大切にしよう、と思ったりもしますが、これがなかなか難しいです。想像力が欠如していたり、自分を大切にすることすら出来ていなくて、心の余裕がなかったり。

とにかくこの映画、いろいろな切り口があって、心に残る

ものが多かったですね。
返信する

コメントを投稿

映画」カテゴリの最新記事