「Dr.キリコの贈り物」著者=矢幡洋
一気に読んでしまいました。
私はいつも図書館で本を借りまくっていますが、なかなかこういう本には出会えません。
というわけで、貴重な本でした。
いきなり話は飛びますが、私は、本や映画のあらすじみたいなのは、ほとんど書きません。
そういうのは苦手だし、調べてもらえばわかるし、非常におこがましい言い方ですが、それは私の役割でないように思っています。
王道はこうですよね、でも、こういう見方もあるんじゃないの、こう思う人もいるよ、それを別の角度から提示するのが私の役割です。
な~んて、それこそおこがましいですが。
とにもかくにも、この本に関して言うと、Amazonのカスタマーレビューが3件しかないので、それが辛い。
もっと書き込みがあれば、というのが素直な感想です。
王道があってこその、邪道ですから。
でもまぁ、下記は、いつのながらのごめり節です。
私はやっぱり回りくどい書き方しかできません。
結局、登場人物が皆、優しいのです。
その優しさに惹かれます。
「優しい」というのは難しい。
たまに、私のことを、「優しい」と言って下さる方がいますが、それは違います。
私は優柔不断で何も決められないから、他人に委ねているだけなのです。
生きる、というのはつまり、種を蒔くことだと私は考えていますが、それは、細胞、遺伝子レベルでも同様だと思います。
では、その原理原則が、虚しいことなのかというと、私の答えは幸いなことに否ですが、それはあくまでも幸いなことに、です。
さてさて。
人を変えることって、できるのかなぁ。
それはもちろん、Yes でも No でもありますが、例えば私には、自分の嫁さんさえ変えられないという事実があります。
まして、他人なんて。
昨日、「ヤコブへの手紙」という映画を観ました。
牧師さんが主人公レイラを変えたのでしょうか。
それとも、お姉さんでしょうか。
それはわかりませんが、少なくともレイラは、変わりたいと願っていたはずです。
そして、命を引き換えにすることでしか変えられないこともあるし、命を引き換えにしても変えられないこともあるんですね。
それと、もうひとつ。
レイラが自殺をするか、生き延びるかどうかというのは、紙一重だったわけですよね。
その差は何だったのでしょう。
また脱線します。
その昔、戸塚ヨットスクール事件というのがありました。
あの方法論(教育論?)云々は別にして、あそこでしか変えられない、ああいう風でしか変えられなかった人というのも、きっと存在するんだろうな、したんだろうな、そういうものなんだろうな、そんな風に、ふと、思いました。
むろん、私は、そういう方法論には否定的です。
私の師匠は色川武大ですしね。
私も、変えたい、なんて、非常におこがましく、そう思うことがあります。
むろん、嫁さんを、じゃないですよ(笑)
それは無理です(苦笑)
怒ろうかな、それとも、語ろうかな、それとも、それとも・・・なんて、ね。
Wild horses couldn't drag me away ♪
Wild , wild horses, we'll ride them some day ♪
一気に読んでしまいました。
私はいつも図書館で本を借りまくっていますが、なかなかこういう本には出会えません。
というわけで、貴重な本でした。
いきなり話は飛びますが、私は、本や映画のあらすじみたいなのは、ほとんど書きません。
そういうのは苦手だし、調べてもらえばわかるし、非常におこがましい言い方ですが、それは私の役割でないように思っています。
王道はこうですよね、でも、こういう見方もあるんじゃないの、こう思う人もいるよ、それを別の角度から提示するのが私の役割です。
な~んて、それこそおこがましいですが。
とにもかくにも、この本に関して言うと、Amazonのカスタマーレビューが3件しかないので、それが辛い。
もっと書き込みがあれば、というのが素直な感想です。
王道があってこその、邪道ですから。
でもまぁ、下記は、いつのながらのごめり節です。
私はやっぱり回りくどい書き方しかできません。
結局、登場人物が皆、優しいのです。
その優しさに惹かれます。
「優しい」というのは難しい。
たまに、私のことを、「優しい」と言って下さる方がいますが、それは違います。
私は優柔不断で何も決められないから、他人に委ねているだけなのです。
生きる、というのはつまり、種を蒔くことだと私は考えていますが、それは、細胞、遺伝子レベルでも同様だと思います。
では、その原理原則が、虚しいことなのかというと、私の答えは幸いなことに否ですが、それはあくまでも幸いなことに、です。
さてさて。
人を変えることって、できるのかなぁ。
それはもちろん、Yes でも No でもありますが、例えば私には、自分の嫁さんさえ変えられないという事実があります。
まして、他人なんて。
昨日、「ヤコブへの手紙」という映画を観ました。
牧師さんが主人公レイラを変えたのでしょうか。
それとも、お姉さんでしょうか。
それはわかりませんが、少なくともレイラは、変わりたいと願っていたはずです。
そして、命を引き換えにすることでしか変えられないこともあるし、命を引き換えにしても変えられないこともあるんですね。
それと、もうひとつ。
レイラが自殺をするか、生き延びるかどうかというのは、紙一重だったわけですよね。
その差は何だったのでしょう。
また脱線します。
その昔、戸塚ヨットスクール事件というのがありました。
あの方法論(教育論?)云々は別にして、あそこでしか変えられない、ああいう風でしか変えられなかった人というのも、きっと存在するんだろうな、したんだろうな、そういうものなんだろうな、そんな風に、ふと、思いました。
むろん、私は、そういう方法論には否定的です。
私の師匠は色川武大ですしね。
私も、変えたい、なんて、非常におこがましく、そう思うことがあります。
むろん、嫁さんを、じゃないですよ(笑)
それは無理です(苦笑)
怒ろうかな、それとも、語ろうかな、それとも、それとも・・・なんて、ね。
Wild horses couldn't drag me away ♪
Wild , wild horses, we'll ride them some day ♪
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