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Dr.キリコの贈り物

2012年07月23日 | 読書
「Dr.キリコの贈り物」著者=矢幡洋

一気に読んでしまいました。

私はいつも図書館で本を借りまくっていますが、なかなかこういう本には出会えません。

というわけで、貴重な本でした。

いきなり話は飛びますが、私は、本や映画のあらすじみたいなのは、ほとんど書きません。

そういうのは苦手だし、調べてもらえばわかるし、非常におこがましい言い方ですが、それは私の役割でないように思っています。

王道はこうですよね、でも、こういう見方もあるんじゃないの、こう思う人もいるよ、それを別の角度から提示するのが私の役割です。

な~んて、それこそおこがましいですが。

とにもかくにも、この本に関して言うと、Amazonのカスタマーレビューが3件しかないので、それが辛い。

もっと書き込みがあれば、というのが素直な感想です。

王道があってこその、邪道ですから。

でもまぁ、下記は、いつのながらのごめり節です。

私はやっぱり回りくどい書き方しかできません。


結局、登場人物が皆、優しいのです。

その優しさに惹かれます。

「優しい」というのは難しい。

たまに、私のことを、「優しい」と言って下さる方がいますが、それは違います。

私は優柔不断で何も決められないから、他人に委ねているだけなのです。

生きる、というのはつまり、種を蒔くことだと私は考えていますが、それは、細胞、遺伝子レベルでも同様だと思います。

では、その原理原則が、虚しいことなのかというと、私の答えは幸いなことに否ですが、それはあくまでも幸いなことに、です。


さてさて。

人を変えることって、できるのかなぁ。

それはもちろん、Yes でも No でもありますが、例えば私には、自分の嫁さんさえ変えられないという事実があります。

まして、他人なんて。

昨日、「ヤコブへの手紙」という映画を観ました。

牧師さんが主人公レイラを変えたのでしょうか。

それとも、お姉さんでしょうか。

それはわかりませんが、少なくともレイラは、変わりたいと願っていたはずです。

そして、命を引き換えにすることでしか変えられないこともあるし、命を引き換えにしても変えられないこともあるんですね。

それと、もうひとつ。

レイラが自殺をするか、生き延びるかどうかというのは、紙一重だったわけですよね。

その差は何だったのでしょう。


また脱線します。

その昔、戸塚ヨットスクール事件というのがありました。

あの方法論(教育論?)云々は別にして、あそこでしか変えられない、ああいう風でしか変えられなかった人というのも、きっと存在するんだろうな、したんだろうな、そういうものなんだろうな、そんな風に、ふと、思いました。

むろん、私は、そういう方法論には否定的です。

私の師匠は色川武大ですしね。

私も、変えたい、なんて、非常におこがましく、そう思うことがあります。

むろん、嫁さんを、じゃないですよ(笑)

それは無理です(苦笑)

怒ろうかな、それとも、語ろうかな、それとも、それとも・・・なんて、ね。

Wild horses couldn't drag me away ♪

Wild , wild horses, we'll ride them some day ♪

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