ごめり語。

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写真について、ふと想う

2013年01月12日 | 日記
「4日までに完成させてね」

そう厳命されていた例の仕事が、昨日、ようやく無事に?、完成しました(笑)

結局、謝ったわけです。

「すみません。もう少し時間を下さい」

そしたら、どんなに遅くとも15日までには、と。

有難いことでした。


影山光洋という、とても優れた報道写真家がいらっしゃいます。否、いらっしゃいました。

是非、図書館で、写真集を手にしてみて下さい。

写真って、何だろう。

記録って、何だろう。

そういうことを教えてくれるはずです。

そして、涙が落ちるかも、です。


私の写真の師匠は、ちゃねりです。

彼女はとてもうまい。

同じ対象物を撮ると、腕の差が歴然としてしまいます。

自分の写真と比べると嫌になります。

その差はどこで生まれるのか。

それはつまり、その写真の完成形を思い描いてシャッターを押しているか、いないかの差だと、私は勝手に思っています。

例えば彼女は、動かない対象物については、ほとんど撮り直しをしません。

さらに言うと、自分の撮りたい写真のイメージがしっかりできているから、そのカメラに足りない機能や、その写真に必要なレンズや、自分に足りない技術も、自ずとわかってくるのだと思います。

絞り、シャッタースピード、つまり、露出。

理屈では、なんとなくわかりますが、やっぱり私には、難しすぎます。

あぁ、高性能デジタルカメラの、なんと有難いことか!

それと、やっぱり、被写体への愛情の深さ、これも重要です。

例えば、お年を召した方だとすれば、いかに皺(しわ)を目立たないように、撮影をするのか。

むろん技術論でもありますが、この発想、気づきが、愛情なのです。

本当に優れた写真家って、当然、人間を撮るのが上手いはず。

風景写真だけの写真家は、単なる愛好家と同じじゃないか、なんて、そんな風に思うこともあります。

そういう意味では、例えばヌード写真、あるいは、画家でいうなから、裸婦像は、凄いですよね。

ある意味、究極だと思います。

人間力?がないと撮れないし、また、それがあればあるほど、いい写真が撮れるのでしょうし。

そういう意味でも、やっぱり、天才アラーキー氏は、偉大だと思います。


私は、仕事場で写真を撮ることが、ままあります。

これは、がんばります。

なにせ、仕事ですから。

いちばん緊張するのは、各種イベントなどで、ご家族の方と一緒とに記念撮影をする時です。

「目が閉じてしまいました。もう1枚!」ってのは、1回だけしか許されないじゃないですか。

2枚が限度で、3度目となると、またかよ、って気分になりますからね。

私なんか、下手くそなのを自覚してますので、それが辛いです。

だから、オプシスのような、ああいう写真セッションを、やりたい!

プロにお願いして、さ。

変なイベントにお金を使うよりは、よほどいいと思います!!!


こんな私でも、ごく稀に、あ、いい写真が撮れたな、そういう時もあります。

嬉しい!

お亡くなりになった方の写真があります。

たくさんあります。

同業の皆さんは、どうされているのでしょうか・・・。

もう見たくない、という方もいらっしゃいます。

というか、むしろ、そういう方の方が多かもしれません。

残しておきたくない、すべてご家族の方に渡してしまいたい、と、その気持ちはわかります。

でも、私はそうでもありません。

だって、忘れたくないんだもん!

きっかけは、Sさんでした。

ショートステイの方だったこともあって、そのなんとも素敵な笑顔が、残っていなかった。

少なくとも私の心の中では、とても残念な出来事でした。


影山光洋さんの奥さんは、「芋っ子ヨッチャンの一生」を、2度と見なかったそうです。

辛い思い出だったのでしょう。

写真は時に、残酷だったりもします。

でも、少しでも喜んで頂けるように、喜んで頂ければ、と、私はそう思っています。


タイトルは、私がちょくちょく覗いている、ブロガーのタイトルを真似てみました。

しかしヤバイなぁ。

今宵の夜勤。

休むことも仕事のうちなのですが・・・

う~ん。
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