さて、斉藤先生が言う後期マルクスーつまり進歩史観から脱成長のコミュニズムを目指すマルクスの決定的転機は1868年にフラースとマウラーの本を読んだことにあるらしい。この点は「ルイ・アルチュセールの表現を借りるなら認識論的切断と言ってもいい変化」だそうだ
ただ、マルクスがフラースやマウアーを読んだのは事実であるが、エンゲルス宛の手紙の中で述べているだけで、肝心のノートはいくら探してもマルエン全集にはない。フラースについては手紙の中で三箇所、マウラーについても手紙に数カ所、後はザスリーチ宛の手紙に二ヶ所、エンゲルスが書いた「マルク」「フランク時代」という論文に出ているだけだ。もし、1868年にマルクスがフラースやマウアーを読んで「認識論的切断」を起こしたという論拠になるノートが新MEGAにあるならば是非翻訳してほしい。
今ある資料ではマウラーやフラースを読んで「認識論的切断」をマルクスが遂げたというには証拠不十分なのである。僕は斉藤先生の結論に反対しているわけではない。マルクスがマルク共同体やミール共同体をベースにしたエコロジー社会主義に舵を切っていたというならば全くそれはそれで賛成だ。しかし、やはり学問というには論拠が必要なのである。しかし、新MEGAからの引用もなく斉藤先生は、一挙に1868年の「認識論的切断」から1881年のザスリーチ宛の手紙にワープしてしまう。その間、マルクスはずっと研究室に引きこもっていたかのようだが、70年代マルクス、まだまだ結構仕事を、借金取りに追われながらしているのである。
この時代は1871年パリコミューン、資本論ドイツ語二版、ラシャトル版の刊行、インターナショナルの解散、ドイツ社民党ゴータ大会、etcと大変だったはずだが、斉藤先生は、これら全てをすっ飛ばして81年のザスリーチ宛手紙へとワープする。
ザスリーチ宛の手紙には第一草稿と第三草稿に一箇所づつマウラーの名前があるだけだ。しかも、ザスリーチ宛の草稿、全てフランス語で書かれていたようだ。
さて、ここで先生の窮地を救うべく登場したのが、1975年に決して出版目的に書かれたものでない「ゴータ綱領批判」である。
まず、先生の引用している節を全文引用しよう。
「共産主義社会のより高度の段階で、すなわち個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり、それとともに精神労働と肉体労働との対立がなくなったのち、労働がたんに生活のための手段であるだけではなく、労働そのものが第一の生命欲求となったのち、個人の全面的な発展にともなって、また生産力も増大し、協同的富 Der Genossenschaftliche Reichtum のあらゆる泉がいっそう豊かに湧きでるようになった後、ーその時初めてブルジョア的権利の狭い視界を完全に踏み越えることができ、社会はその旗の上にこう書くことが出来るー各人はその能力に応じて、各人はその必要に応じて!」
斉藤教授は、マルクスが書いたとされる?マルク共同体に関する論文にマルクスが普段使わないDer Genossenschaftliche Reichtum 協同的富があり、それがゴータ綱領批判にもあるということを論拠にマルクスが脱成長史観へ変わったという決定的な論拠とする。
しかし、マルク共同体について書いているのはエンゲルスで、マルクスの文章はマルエン全集の範囲内では見つからなかった。ミール共同体はマルクス、マルク共同体はエンゲルスと分業をしていたのではないかと思われる。どちらにせよ、マルクスが書いたとされるノートが新MEGAにあるというならば出典をはっきり示さないとやはり証拠不十分なのである。
ゴータ綱領批判を岩波文庫版で翻訳した望月清二によるとマルクスはGenossenschaftlicheという言葉を普段は使わず、ゴータ綱領批判でただ一箇所ここで使っているだけだと言う。ただ、ゴータ綱領批判のもともとの原文はドイツ社民党内で回し読みされた手紙のようなもので、出版を目的にして書かれたものではない。初めてゴータ綱領批判が出版されたのは、1891年で、マルクス死後、エンゲルスが出版した。エンゲルスも序文で断っているように、その際エンゲルスが手を入れている。そこから類推出来るのは、エンゲルスがこの箇所に手を入れた可能性があるということだ。
ただ、ゴータ綱領批判のこの部分を読んですぐにわかることは、ここは高度の共産主義の話しであり、コモンもアソシエーションも党も国家もなくなった日のことで引用しても斉藤先生の説を根拠づけるものにはなっていないと思われる。
「この一節の意味するところは、コミュニズムによる社会的共同性は、マルク共同体的な富の管理方法をモデルにして、西欧においても再構築されることではないか」202と斎藤教授は自身たっぷりに述べる。が、ゴータ綱領批判のこの節は、高度の共産主義の話しで管理とコミュニズムとかもうなくなった世界の話しなんだってと言いたくなる。