ある時代との対話

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ある時代との対話(終わり)

2021-07-20 19:24:00 | 日記

 資本論ブームだそうである。以前はリーマンショックの後がそうだった。それは何十冊かの解説書を産んだだけで、リーマンショックが現象的に終息していくと、資本論ブームも終わった。そして、その時出版された何十冊かの解説書はブックオフに暴落して並んだ。リーマンショックの時もしかし、マルクスが書いた本の新しい翻訳、労働者向けのマルクス選集の発行などは伴わなかった。マルクス=レーニン主義の延長で何かが語られていたに過ぎなかった。


今回も書店に行くと、資本論の解説本が増えだしている。しかし、相変わらず資本論ブームといいながら解説書の本の山が出来ているだけで、マルクスそのものの研究はゆっくりした歩みでしか進んでいない。


例えば、2017年にドイツイデオロギーの新MEGA版が刊行され、ドイツイデオロギーの全貌が資料的には出そろった。ブリュッセル時代にマルクス・エンゲルスによってドイツイデオロギーという書物は構想されたのか、されなかったのか、それがマルクスを読む読者の知りたいことだ。新MEGAでドイツイデオロギー、ドイツ語で一次資料として刊行されただけで、それ以来マルクス研究者からは音沙汰がない。新MEGA、一冊3万円の本が二巻本で1800 頁、しかもドイツ語の生原稿のまま、そのままの編集でとても素人に読める代物ではない。しかも、ドイツイデオロギー問題は封印されたままである。


また、資本論についても今読むことの出来る資本論は、国民文庫か、岩波文庫、新日本出版から出ているエンゲルス版四版だけだが、資本論一巻には、マルクスが自分の手で刊行した違うバージョンの資本論がある、ドイツ語初版、二版、ラシャトル版である。僕も出来るだけ比較して見たが、二版と現行版も食い違う箇所があり、マルクスが自身で最終校正をしたラシャトル版の重大な改訂箇所がエンゲルス版では二版のままの記述になっている。最低、ドイツ語二版とラシャトル版の比較はされなければならないがそれすらされていない。 


こうした基礎研究を掘ったらかして、解説本を量産することは、それこそ資本論をねたにした商品を量産することに等しいのではないか。が、やがて暴落、ブックオフに並ぶことになる。そして、資本主義の冷酷さを実際に証明する。それはもう漫画であり、マルクス=レーニン主義の焼き直しであり、もうそんなことをしても誰も一般の人は振り向かないのではないか?


面白いのが、新左翼の人びと。この連中ときたら資本論一巻にいろんなバージョンがあること、二巻、三巻はエンゲルス著と言ってもよく、マルクス死後エンゲルスがマルクスの決して完成されていない草稿からなんとか仕上げたものだが、そういうことも知らず、時代の最先端を走っていると思い込み次々と新しい横文字の思想の読書会を行うか、マルクス=レーニン主義に先祖帰りしているかのどちらかのようである。


さて、僕自身はいろいろ因果がありマルクスの資本論に今後もこだわりたいと思うが、しかし、やはりマルクスだけでは時代は読み解けないのではないかと思っている。また、一個人の思想にそれだけの重みをもたせるのは危険である。当たり前の話しではあるが。


それで、今、2019年に刊行され、すぐに買ってそのままほっておいた「カール・ポランニー伝」を読み始めた。カール・ポランニーも日本に紹介されて半世紀たってようやく研究書も出て、伝記的事実も知れるようになった。また、ポランニーの絡みでカール・メンガーの「経済学原理」の初版と二版を読み比べて見たい。限界効用革命の当事者が後に限界効用革命を否定したならばそれは面白いと思う。


自分なりにマルクスを読んできて得たものも大きいが、それは、学ぶということだったように思う。マルクスの中には社会主義の体系などないーマルクス本人も書いているがーただ、あるのはマルクスはシューベルトの交響曲の名前と同じで未完成だということだ。



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