ある時代との対話

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ある時代との対話②

2021-06-30 18:56:00 | 日記

 ②


働いていたレストランの近くに新進堂という本屋があり、岩波文庫を読み切ることに情熱を燃やしていた。赤帯のフランス文学やロシア文学は読めても、それでも挫折することも多かった。厨房で働いていると言っても腕一本でやっていけるわけでもなく、当時、冷凍食品でいいものが出来てきて手づくりの店は大手外食産業に押されていた。休みと言っても何するわけでもなく、あっという間に時間だけが過ぎた。


そんな時に「資本論」に出会った。岩波文庫 向坂逸郎訳 全9冊を購入、抱えるようにして持って帰った。無謀だったが三か月ほどで全三巻を読み切った。ただし、中身がわかったわけではないが、一回読んでわかる本でもない。ただ、商品の価値は労働だというぐらいに漠然と理解出来た。それに剰余価値ー会社はこうして儲けるのかと思うと会社の頭の良さに感心もした。ただ、働くものは社会の主人公だと思うと嬉しかった。もっとこの本を理解したいと思ったが、しかし、それからこの呪われた本に生涯マルクスの幽霊に付き纏われるとは思わなかった。というのはマルクスは幽霊が大好きで共産党宣言の始めにもこんな風に書いている。Ein Gespenst geht um in Europa.


その話はともかく資本論を読んで初めてマルクスが誰であり、マルクスとソ連が関係があるとわかったような次第である。資本論を読んでから共産党宣言や賃労働と資本を読み出すと言う始末。ただ漠然と労働者というか働くものの社会がくればいいと思った。


しばらくして父に紹介してもらい近くにあった二月書房に行った。初めて行ったのは夕方だったと思う。小さな店の奥に入っていくとそこにご主人が座っておられた。そのお店にはずいぶん長く通った。街の小さな書店は大型書店のようにあちこち動かなくともいろんなジャンルの本が目に入る。同じ本でも棚の並びが変わると違う風に見える。そうして出会った本もたくさんあった。


当時は、バブルの余韻が未だ残るジャパンアズナンバーワンと思っている日本人もたくさんいた時代、マルクスなんか過去の思想家だった。未だそれでも社会主義圏も存在し、ソ連邦もあった。ロシア革命のオーラが世界を包んでいると錯覚されていた時代だった。


が、ともかく資本論だけを読んでいたのではダメだとわかり、哲学ではヘーゲルやフォイエルバッハも文庫本で手に入るものは読んだが分からなかった。マルクスの延長でもレーニンを読まなければならないようだった。マルクスの本の解説を読むと必ずマルクスとレーニンの名前が並べてあったが、これもある種の神話だった。するとレーニンとくるとスターリンになるが、この名前には僕のように大学に行かなかったものでも抵抗があった。マルクスの思想は正しいが、ソ連でおかしくなったというのはどうもいただけないと思ったからだ。ソ連の話しもそれほど薔薇色には見えなかったが、社会の安定という観点から見るといいと思ったことはあった。スターリンの問題は僕がマルクスと向き合う上でずっとネックになっている。


結局、資本論を読んでから反対に共産党宣言やドイツイデオロギーを読む始末。酷い勉強の仕方かもしれないが、しかし、そうするより他に道はなかった。これではメインデッシュを食べてから前菜を食べるようなものだった。が、かと言って正攻法で勉強すれば勉強していたかというと嫌になってやめていたように思う。そう人間うまく形にははまらない。



ある時代との対話①

2021-06-29 23:37:00 | 日記

繁華街をしばらく歩いて大通りに出ると勤め先のレストランがあった。出勤は朝10時、帰るのも午後10時だった。朝、着替えて厨房に入るとすぐに冷蔵庫からミンチを出し、玉ねぎのみじん切りしたものを一緒にボールに開けて、玉子とパンを入れてハンバーグを作った。だいたいいつも大きなボールに三杯は作っていた。ハンバーグをこねて、オーブンに入れるところまで準備しなければならない。


それが終わると今度は米を洗わなければならない。四升を二杯か、三杯。そこで一息つくともうランチの準備をしなければならない。それから何度か休憩を挟んで、夜10時までずっと立ちっぱなしだった。それでもそれまでについた仕事よりはまともな方で食事が出た。そのレストランで働いている時、近くに大きな書店があったので文庫本を買って川の近くまで行って本を読んだ。新潮文庫や岩波文庫の小説や文学の本をよく読んだ。ロシア文学が流行っていたのでドストエフスキーの「罪と罰」も買ったが挫折したことはよく覚えている。



休憩中、よく労働組合や学生団体がデモをしていた。スローガンに反対ではない、しかし、何か違うのだ。そういう違和感は今でも左翼系の人々に対しては持っている。その違和感が何かなのはよくわからない。しかし、毎日の労働は辛く、先の見通しが立たない、特に給料は安い、さらに職場での人間関係には苦しんだ。当時はバブルと言われたが、街の小さなレストランで働く人間のところにはバブルの恩恵はなさそうだった。小さな頃からお金に興味があった、というかお金とは何かーこのひとを苦しめもし、幸せにもする紙切れーという疑問を持っていた。


僕の父も母も民青同盟?の活動をしていたらしく、そこで知り合ったらしい。が、僕が物心ついて覚えているのは母と父がいさかいをしていた光景だ。理由はいつもお金。ただ、あの紙切れが一枚ないだけで、否少し少ないだけで小さな家が大騒ぎになるのだ。机はひっくり返る、父が出ていく、その後には母がいつも泣いていた。よく考えるとこの争いの原因は父でもなく母でもなくお金。そうあの誰かの絵が書かれた紙切れ。


父は新聞配達をしていた。朝疲れた顔をして狭い部屋で着替えている光景が今でも浮かぶ。子供ながら冷静にその光景を見ていた。母も時々どこかに働きに行っていたのを思い出す。僕の家は屋根裏部屋でよく僕は頭をぶつけた。時々、そんな部屋にお客さんがあった。労働組合のひとだったらしい。僕は戦艦やゼロ戦が好きだったので労働組合のおじさんにはよく説教をくらった。父は文学を志していたようである。いつ本を読んでいたのかわからないが、部屋には本が所狭しと並んでいた。父は本だけは気前よく買ってくれた。お陰で読書習慣だけは悪ガキだったにもかかわらずついてしまったようだ。 


その父も僕が小学生の時にいなくなった。しかも、それまで、一年に一回は引っ越しするという、生活だった。今思い返すと借金からの夜逃げだったのかもしれない。(つづく)