うろうろとする日々

スポーツにとって政治的中立とは

パリオリンピックに向けて、ロシアを参加させようという機運が高まっている。とくに日本では積極的なように思える。例えば山下氏や体操の渡辺氏など。また、森本首相の発言もこれを踏まえてかもしれないと思う。

ところで、サッカーWカップでは現地のさまざまな事柄への抗議が起こり、日本ではそれは政治的中立をおかすものと考えられて、選手は全く他の国の選手のように何か行うことはなかったと思う。

それはあまり問題でないというのが例えば某新聞社の賞が授与されたことなどでもわかる。

たとえば”正義”を求めるのもよくないというような思想もあるらしい。適当にやっておくのがいいということだ。

しかし、結局のところ人間は正義を求めてもどこまでいってもつかみ取れない、というのが本当のところで、正義を求めさえしなくて本当にいいのかと思う。結局はロシアのオリンピック参加もそのようなことで、もしロシアの選手が”正義”を求めるのであれば、線上に行くのだろうか。これは国としての正義は戦場で戦うことにあるのだろうから、そうするのが正しいことになる。どうも山下氏や渡辺氏は、ロシアの選手には戦争に反対しているひともいるので、そういった選手は保護しないといけなということのようだ。しかし、そんなことはどうやって調べるのだろう。結局はロシアの戦争に強い抗議などはしていないような選手がほとんどではないのか。

ということで、キット日本でロシアの参加に積極的なのは、ロシア抜きのオリンピックは非常に面白くなく、テレビを見る人がますます減るということなんだろう。

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