うろうろとする日々

【読書感想文】日本政治学史-丸山眞男からジェンダー論、実験政治学まで (中公新書 2837)

日本政治学史-丸山眞男からジェンダー論、実験政治学まで (中公新書 2837) | 酒井 大輔 |本 | 通販 | Amazon

この本を小生が読んだのは、京極純一氏について結構なページ数を割いているからだった。

しかし、期待は大きく外れた。

小生が京極純一氏について興味があったのは、以前テレビ番組にレギュラー出演していたことがあったが、全く面白くなく、こういうひとがなぜ、文章は興味深かったり、学会では高く評価されているのか知りたかったからだ。

まずはこの本の京極氏についての記述で期待外れだったのは、指導教官であった堀豊彦氏との関係がほとんど書いていないことだ。これはまずいだろう。

そして触れられていないのは最初の著書である42歳で出版されたのはなんと政治学というよりはキリスト教関係の植村正久に関する本であった。東大出版会から2年後に単著『政治意識の分析』(1968年)を出版するがその前に出版したのは小さいキリスト教関係の本であった。ここからもう少し京極純一氏とキリスト教の関係について掘り下げていくと、米国留学のことなども面白かったのではないかと思うのだが。

小生は寡聞にしてしらないが、京極氏の後のエッセイ群を読んでも米国について、彼はあまり日本のようには書いていないように思う。日本の報道などについて間接的に触れることはあっても、彼自身の生の米国体験はその方法論が米国からの”輸入”であるにもかかわらず、あまり出てこない。

そこで思うのは彼の最初の単著であった植村正久のことだ。植村牧師はよく知られているように、日本のプロテスタント教会の礎を気づいた人物である。また、植村正久のこどもであった植村環氏のほうが一般には有名であったかもしれない。当然京極氏が植村伝を出版したときはまだ植村環氏は存命であった。まだ現役の牧師であった時代である。このころ植村環氏は日本基督教団から離脱後の日本基督教会の中心人物であったと思われる。

京極氏が最初の単著で植村正久氏について書いたのは、こういった背景もあったのではないかと思われるのだがどうだろう。京極氏の方法論と日本でのキリスト教の伝道とその1960年代ごろの状況は結構かかわりもあるのではないかとおもうのだがそこには今回の中公新書は全く触れていない。

ただし、京極氏は日本の政治学に統計的な手法を持ち込んだといっても、彼自身は統計学についてそれほど専門的なものも持たなかったひとであったようであるのはこの本で具体的に示されていて興味深かった。

おそらく当時の状況かr愛えば、統計学はソ連などでの経済分野で使われるほうが主で、政治分析に使うのは結構米国でも新たな展開だったのではないだろうか。そしてそれは当然米国の場合、戦争と結びついている。そこになぜ日本の政治学者が米国ではどちらかというと、政治行動への統計的な分析がプロパガンダなどと結びつく雰囲気などもあったような感じもするところに突っ込んでいったのか?そのあたりに小生はキリスト教と京極氏との関係を思うのだがそういったところまでの疑問には答えてくれない。

もちろん学者ではないらしい著者の本にそこまで求めるのは難しいだろうし、そもそもが京極氏とキリスト教の関係も、東京女子大学の学長までやっているので明らかなのだが、あまり掘り下げられてはいないと思う。しかし堀豊彦氏との関係で言えば堀豊彦氏はキリスト教関係の役職もWikipediaにも掲載されているくらい明らかなのになぜか京極氏については東京女子大の学長くらいしか、キリスト教を思わせるものはない。繰り返すが最初の著書が植村正久牧師についてなのだが。なぜだろう。逆に彼を取り巻く環境がそうさせているのだとするとそれはそれで興味深いものがあるところであるが、この小著にそこまで求めるのは無理というものだということはわかりつつもなんだかなあという感じがある。小生の観点からすると残念な本だった。

まあ著名な政治学者も推薦しての出版だろうからこの本の政治学の中での評価には素人の戯言として影響しないものであることは自分でも自覚していますので。

ーーーーーあとから追加

おのがデモンに聞け――小野塚・吉野・南原・丸山・京極の政治学 | 都築 勉 |本 | 通販 | Amazon

という本があり、こちらは京極純一氏のなかで”植村正久”についても触れているが、この文章の初出の南原氏との関係しか書いていなくて堀豊彦氏の名前は出てこない。不思議だ、、、

東京女子大学の学長だったのだから、当然キリスト者としての生活もあった人なのだろう。しかしWikipediaなど読むとあまりそういう感じでもないのだが、学長時代に聖書についての話などしなかったのだろうか?

エッセイなどを読む限り南原繁氏とのキリスト教的なつながりはあまり見えない。ただし都築氏の植村正久と京極純一氏の関係を説明した部分は貴重でとても参考になった。今の日本のプロテスタント界の状況を分析するのにも意外と有効で、結局は日本のプロテスタント教会も教会の政治(統治)意識という意味では日本だということか、、、

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