Amazon.co.jp: 新自由主義教育の40年: 「生き方コントロール」の未来形 : 児美川孝一郎: 本
この本の書評が朝日新聞に出ていたので読んでみた。
そもそもが小生にとって、公教育とは”聖域”という感じがするもので、”新自由主義”など入り込む余地がないもの、というか、経済的な発想で行われるべきではないものと思っていた。しかし、著者はこの40年近くを教育研究者として新自由主義、そして昨今ではSociety50というようなものと向き合って思考を深めてきたようである。
それ自体は児美川氏の非常な誠実さを感じるところだ。しかも法政大学ではキャリアデザイン学部という、ちょっと聞いただけでは中身がわからない部の助教授から、今では教授2003年から20年ということのようだ。アマゾンの経歴によると、1986年に東京大学の教育学部を卒業されたようなので、専門課程に進んでから40年ということでしょうかね。おそらくはキャリアデザインという、どうしても企業や国の労働政策の下請け的な印象のある学部の中で、教育学者としての矜持を保っていく、という立ち位置と見える。
内容について、小生は教育は経済界の影響など受けないほうがいいと思っている。今の”会社に入る前にビジネス英語を身につけさせてほしい”とか、”DX人材が必要だから大学で育成してほしい”というような話はあまり乗るべきではないと思っている。
なぜなら、まさに児美川氏の学者人生がそうであるように、結局のところ、今の組織の中で、基本的なベースがなければ、他人と差異化できない。差異化こそが企業や経済界で生き残る手段だとすると、それこそAIでいいことになっていまう。キャリアデザイン学部といって、企業の望む英語力を育成するような教員は全くいらないだろう。企業がChatGPTが使える人が欲しいといっても、人に聞いたままに調べて出すというのであれば、おそらくそういった人の仕事はすぐに次の人に奪われてしまうだろう。
児美川氏が20年間キャリアデザイン学部で教授にまでなったのは、”教育学”というベースがあってるからだろう。経営学者などは企業の経営者に都合のいいことをいって、つぎつぎと外部の講演などを行っている、そういった学部の教授として、学生に”そんなことはできても企業の下働きでしかなくて、次に新しいひとがでてくればすぐに捨てられちゃうんだよ”という現実に目を向けさせようとしているのではないだろうか。また、特に感じるのは児美川氏の教育学に触れた学生や周りの人たちが、幸せになってほしいというような方向性を一生懸命に指し示そうという優しさである。
それにしても法政大学自体この20年間の変化というのは大きいものではなかったか。その中で感じるところも大きかったのだろう。
内容について細かなことは小生が触れられるところではないのだが、読後感である。