うろうろとする日々

朝日新聞12月20日立川高校の記事

朝日新聞の地方版でその地の高校を紹介する記事。

前は第一商業だったがつぎは第二中学というわけか立川高校だった。

そうなんですなあ。東京のナンバースクールで2は立川。このあたり旧制高校の2が仙台だったこととも似た事情があったようにも思います。

ちなみに当時三多摩で一番栄えていたのは八王子市だったが八王子市は女学校を望んだので第四高等女学校ができたという話も聞いたことがあります。

ということで三多摩の名門立川高校ですが、第一回で紹介されていたのは多和田葉子氏でした。

そうなんだ。という感じですね。いまや立川高校の出身者でもっとも有名といえば多和田氏なんだろうか。

小説家で言えば三浦俊彦氏じゃだめなんだろうか、とも思いましたが、まあさすがにね、ということか。

家のひとがよんで、”くじびきできまるの?”とか”72も学群があるの?”とか”私立高校も入っているのか”などといっていて、そのあたりから説明するのは結構大変でした。もしかすると今の子どもにも理解不能な部分だったかもしれませんね。ある世代にとっては学校群制度は本当にものすごく身近なもんだったのに、これこそが昭和の遺物か、、、調べると1967年2月にはじまり、1981年が最後らしいので、確かに14年間しか続いていなかった制度だったのですね、、、ただこの14年間はちょうど1970年代がはいっていて、そのころが多摩地域のベッドタウン化が進んで人口も急増したことだと思うので、影響は14年であっても大きかったのではないかと思います。Wikipediaなどにはいろいろと書いていますが、当時は支持するひともそれなりにいたので続いた、ということは確かです。

ということで本題ですが、想像よりもずっと楽しい高校生活を送られたようでうらやましかったです。確かに当時の高校生にとっては、自分が書いたものが活字になるというのはひとつのステータス。新聞部などもそういった背景で人気があったのでしょう。またブラスバンド部でも活動されていたということなので、楽器も聞いてほしかったですが、それはなし。高校野球の応援などもしたのでしょうか?また、ドイツ語は確か立川高校の売りだったとおもうので、それにはまったということでなおさら楽しかったのでしょう。ちょっと不思議だったのは東大だけでなく、当然外語大のロシア語というのもあったと思いますが、実は当時はまだ府中には影も形もなかったので、国立から通うにはちょっと遠かった?早稲田まではいっても外語大はちょっと遠いという感じかなあ。そもそもが当時はこれまた今となってはなくなった共通一次時代(もしかしたら違うのかな)で1校しか国立は受けられない時代だったようにも思います。

そう思うと、当時は何も思っていませんでしたが多摩地区の子どもにとっては、高校は学校群制度でそもそもが23区とは競争率が違う。私立も当然23区とは数が違うということもありました。今は23区から移ってきた学校もありますが、しかし、それは大学の付属が多く、それ以外というともしかしてそれほど変わってないかも。当時はまだ私立は男女分かれているのが普通の時代なので、特に選択肢は狭い。たとえば某八王子市選出衆議院議員が早実といったときに、いまは国分寺なので違和感ないかもしれませんが、当時は早実は本当に厩橋にあったので校歌のとおりです。おそらくは多摩地区の適当な学校が見つからなかった方で優秀なので早実に進まれたと思われます。また、これまた某調布市選出の議員は確か早稲田高校ですが、これも当然23区。同じく某衆議院議員は慶応高校だったかで、みんな地元に適当な私立がなかったのでいったのでは?と思ってます。そういう点でかなり23区の子どもとはちがってたのでしょうねえ。女子も選択肢はあまりなかったのではないかと思われます。

そういう中でちゃんと勉強してドイツに渡った多和田氏はご立派だと思います。当時はいまよりもずっと円高だったので、渡航もしやりやすかった時代とはいえると思います。そもそも多和田氏のお父上は有名な外国書籍の取り扱いをされていた書店経営のようなので、なおさら円高はよかったということもあるでしょう。まあそういうことがあったにしろ、ドイツに渡って40年ですか。それにもかかわらず日本でパフォーマンスなどをされると高校のお友達が来てくれるということはうらやましいですね。特に多和田氏の同級生ということはもう時間的に余裕がある人も多かったりするのでしょうからなおさら一番いい時代なのかもです。

また立川高校の周辺について記事で触れてましたが、特に電車で立川駅から行くと、必然的にいろいろと通るのですが、立川自体が今よりもずっとアナーキーな雰囲気をもっていたかもしれません。ある意味パワーがあったようにも思います。

これは多和田氏のインタビューを継続する記事ではないので1回で終わりだと思いますが、ぜひとも氏の高校時代のもっとまとまった内容を読めると、当然ノーベル賞も取るかという多和田氏とは大きな差がありつつも、小生自身の高校生時代を反省できてていいのにと思いました。

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