
ストーリー
時代は大正初期、まだ日本に華族や爵位の残る時代。
幼馴染の侯爵家の一人息子・松枝清顕(まつがえ きよあき)(妻夫木聡)と伯爵家の一人娘・綾倉聡子(あやくら さとこ)(竹内結子)は、実は両思いながらも上手く愛情を表現出来ずにいた。そんな中、聡子は宮家の子息・洞院宮治典王(とういんのみや はるのりおう)(及川光博)に求婚される。それは断ることなど許されないものであった。聡子は手紙を出し、清顕の気持ちを何度も確かめようとするが、不器用な愛情表現しかできない清顕はそれを読まずに突き放す態度をとってしまう。失望した聡子は洞院宮治典王との縁談を受け入れる決意をする。
もはや聡子が自分のものにはならないと知った清顕はようやく聡子への深い愛に気づくが、それは皮肉にも聡子の結婚に勅許が下りた後であった。しかし清顕は諦めきれず、聡子の愛を取り戻したいとひたすら願う。清顕への愛を諦めていた聡子も彼との密会を受け入れ、二人は激しく愛し合う。しかしそれはつかの間の禁断の愛であった。やがて聡子は妊娠するが、お互いの両親に二人の秘密が知れ、聡子の中絶は隠密に処理された。~ウイキペディア

10年以上前だろう。WOWOWを短期間契約していた時、この映画を録画したのだと思う。なんでも小説『春の雪』に鎌倉文学館(旧前田家別邸)が出てくることをmarboさんのブログで知り、引っ張りだしてきた(笑)。
上映時間150分と長かったからか、まともに観ていなかった気がする。20代で好きだった三島由紀夫の小説『午後の曳航』『金閣寺』や三島事件らの世界と重なるものを感じた。この映画が完成した時、テレビで話していた綾倉家侍女・蓼科(たでしな)役の - 大楠道代さんが、「結子ちゃんが可愛くてしかたなっかた」と話していた言葉が印象に残っているが、竹内結子さん本人も映画の人物像のように悩み抜いていたんだろうね。
演技では松枝 清顕の祖母 - 岸田今日子、月修寺 門跡(げっしゅうじ もんぜき) - 若尾文子と大楠道代のお三方が良かった。恥ずかしながら長編小説『春の雪』は読んでいない。
もし、ヒロインなら、わたくしも同じ気持ちであることでしょう。
愛していることに気づいても、赦されないこともあるのですから。
それでも、一生をかけて回り逢えた歓びは、二人にしか通じないでしょう。
それでもいいんですよ。
現世でなくとも、来世であろうと次元を超えてであっても、魂は結ばれます。
誰かを愛することには、束縛はなく無限です。
今、上のストーリーを読み直しましたが、確かにアナザン・スターさんが書かれているような純粋な部分の記述しかありませんね。
詳しくは覚えていませんが「潮騒」を読んだ時、三島はこんなロマンチックな、まるで伽噺みたいな小説も書くのか?となんだか、と夢ごごちみたいになったものです。
「午後の曳航」はブティックを経営する未亡人と息子、その女性に恋する外国航路専門の船員とが織り成す人間模様と、少年たちの残酷性を描いた作品。
小説の正確なストーリーを忘れていますので、興味をお持ちでしたら下のあらすじをお読みください。
↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%88%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%9B%B3%E8%88%AA
「春の雪」は三島由紀夫の最後の長編小説、全4巻からなる『豊饒の海』のひとつですよね。陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した(三島事件)直前に草稿したものですから、直接的ではありませんが、「春の雪」から、私には三島事件の香りを感じさせました。
大きくは「金閣寺」にも共通性を感じます。
小説はみな新刊を買いましたし、読みました。
結局、あの事件以後、何がなんだかわからなくなり私の思考力の及ばぬこと、と三島そのものををやめました。
一度、劇場のエレベーターで一緒になったことがあります。
思っている以上に小さな男で、びっくりしました。目の鋭さだけ、覚えています。
小父さんは、映画を次々と見られて、それこそボケる暇がありませんね。
好奇心こそが脳の刺激・・私はそのおこぼれを頂いておきます。
若い頃、私がお世話になった荒木精之先生のもとへ三島由紀夫が「豊饒の海」の第二部「奔馬」の執筆に当って取材に来たことを知ってから、三島は特別の存在になりました。
三島の才能を見出したという蓮田善明のご次男・蓮田太二慈恵病院院長も先日三回忌でしたし、25日はまた、三島を割腹事件に駆り立てた神風連の乱で自決した小篠四兄弟のお墓に、諸々の思いを込めてお参りしてこようと思います。
私も、幼馴染で彼のファンが居ましたのでちょこちょこ文庫本を読んだり「文化防衛論 」なんてのも読んでいました。
在学中例の三島事件が起き、衝撃的でしたが、仲良くしていたグループの女子学生が急に「豊饒の海」全巻を買い込み夢中で読破していましたね。
>結局、あの事件以後、何がなんだかわからなくなり私の思考力の及ばぬこと、と三島そのものををやめました。
事件直後はたくさんの評論家の意見を読み漁ったものですが、今ぼんやり考えると自衛隊決起も東部方面総監室の切腹も彼の借り物で、芥川龍之介や川端康成の自死と同種のように私は想像しています。
芥川に川端の死の周辺のことは何も知りませんが。
>思っている以上に小さな男で、びっくりしました。目の鋭さだけ、覚えています。
はっはっは、岡本太郎みたいな目ですか?最近のテレビで岡本氏は写真を撮る時のポーズだと言ってましたが。
中学時代か?家にあった文藝春秋に写真で「私はこれに成りたかった」シリーズで三島由紀夫氏、警察の白バイに跨った警ら隊の恰好をしていたのが印象に残っています。
>それこそボケる暇がありませんね。
いや、このところ手持ち無沙汰でぼんやりしていますので、明石天文科学館のシルバー天文大学に行くことにしました(笑)
時が経つのは早いですね!
>若い頃、私がお世話になった荒木精之先生
先生をググると「郵便局で同僚のものが軽微な過失で懲戒免職になったので、憤慨して辞表を提出した」なんてのがヒットして笑いました。
「小説家、思想家、文化運動家、『日本談義』を発行」なんてのもありFUSAさんの勉強の深さに感心します。
かつ、先生の下に、三島が取材に訪れたんですね!!!
「奔馬」をググると・・・ありゃ「春の雪の中で聡子を待ち続けた清顕が死んでから18年が過ぎた。本多は38歳になり、裁判所で判事を務めている。」
ストーリーが続いているんですか!
これは興味が沸いてきました(笑)
そして「清顕の生まれ変わりが切腹」だとは「豊饒の海」は三島由紀夫の遺書なんですかね?
そのようなストーリー、全く知りませんでした。
蓮田 太二慈恵病院院長、神風連の乱斜め読みしました。
上のKUMIさんのところに書いた三島の自死のことFUSAさんに叱られますかね?(汗)
三島没後50年の番組だったのか?テレビの特番は幾つか観ていました。
う~ん、コメントをいただいて私の知らないことばかりが、また分かりました。