ハチの家文学館

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仏の道に救いはあるか

2018年08月14日 13時39分08秒 | 慈しみと悲しみと

尊敬する仏師西村公朝さんの遺稿集「仏の道に救いはあるか」を再読。公朝さんの晩年の気持ちが感じられていい。

公朝さんは仏像彫刻家として、京都三十三間堂の十一面千手観音像千体のうち、600体の修復を手掛けるなど、昭和の名仏師として生涯に千数百体の仏像修理に携わった方である。得度後は京都の愛宕念仏寺住職を務めた。

私が仏像写真を本格的に撮り始めたとき、公朝さんの本を何冊も読み漁った。いずれも読みやすく仏像とは何かを知ることが出来たし、仏像写真撮影にあたっての心がけをたくさん教えてもらった。とくに「仏像の声」「仏像は語る」「極楽の観光案内」の文庫本3冊は、幾度も読み返している座右の本だ。

公朝さんの没後4年くらいの2007年(平成19年)に、カミサンとハチと一緒に愛宕念仏寺を訪ねたことがあった。本堂裏手の公朝さんの墓所が実に質素で、公朝さんの人柄を如実に表しているかのようだったことを今でも鮮烈に記憶している。

「仏の道に救いはあるか」は本のタイトルであるが、サブタイトルに「迷僧公朝のひとりごと」とある。仏像彫刻家であり、お寺の住職でもある公朝さんが、釈迦の教えとか、座禅の話、お経の話、四苦八苦とは、命の値段などなど、公朝さん流の視点で仏教とは何ぞやという禅問答的な文章がおもしろい。

最初のページにこう書いている。

座禅の姿勢をとって、まず何から始めるか

雑念をとる。

とれるか。

簡単にはとり去れない。

次々と新たな雑念が出てくる。

それは、毎日が雑念の日を送っているから。

雑念の元は四苦八苦からだと釈尊はいう。

生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦

 

毎朝お経をあげているが、雑念が入ってばかり。まさに雑念の日を送っている自分のことのようである。

 

 



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