山口 龍蔵寺 愛染明王
この頃、書棚の本を読むことが多くなった。アルコール依存症?が禍いしてか、若い頃のような記憶力はないものの、ページを捲るごとに過去の想いが蘇ることがある。私にとって、読書とは追憶のカテーテルのようなものだ。造影剤などは要らない。体の隅々まで記憶の道を辿ることが出来る。
いま手にしているのは「仏教聖典」。巻末に「1986.7.16玄忠寺高見様より」と万年筆で書いてある。郷里の知人からいただいたもので、財団法人仏教伝道教会が昭和48年に初版発行、昭和60年10月25日第344版発行と記されている。非売品で今は第何版かは知らないが、大ベストセラーの本であることに間違いない。ときどき読み返しているうちの一冊である。
1986年(昭和61年)という年は、同じ銀行支店に17年も居続けての転勤問題、二人の息子の進学問題、息子を育ててくれたおふくろとの同居問題など、思い悩むことが多かった年で、翌年うつ状態にまでなって勤めを1ケ月休んでしまった苦い思い出の時期に遭遇することになる。この頃この本を読んだのは、心の拠りどころを求めていたのかも知れない。
仏の智慧は海のごとく広大にして、仏の心は大慈悲なり。仏は姿なくして妙なる姿を示し身をもって教えを説かれた。
この本は二千五百余年の間、国を超え民族を超えて保ち続けられてきた五千余巻の仏の教えの精髄である。
ここには仏の言葉が凝縮されており、人びとの生活と心の実際の場面に触れて、生きた解答を与えている。
また、次のページは法句経の抜粋が書かれており、本文は「ほとけ」「おしえ」「はげみ」「なかま」の順で、釈尊の教えを平易なことばでわかりやすく書かれている。
仏教や仏像に関する本を数多く読み漁ったが、この本がいちばんわかり易い。現代の日本人の多くは、家族の葬式で初めて仏教に接することから、仏教というと葬式仏教のイメージが強く、縁起でもないと忌み嫌う人も少なくない。かくいう私も前妻を27歳で亡くしてから随分長い間、毎朝のおつとめも死者供養の意味合いが強かった。しかし今はご本尊大日如来を始めとする仏像を目の前にして、般若心経やご真言を唱えることでみ仏の慈悲を感じとり、亡き家族の浄土での平安を願い、感謝と家族の健康祈願を口上としている。信心深かった両親と同じことをしている自分の姿が、いつの間にかカミサンや子や孫に信心となって伝わっているのが嬉しい。
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