ハチの家文学館

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仏像の声2

2019年02月13日 09時12分08秒 | 慈しみと悲しみと

              京都 愛宕念仏寺 ふれ愛観音

仏師西村公朝さん著の新潮文庫「仏像の声」。何度読んだか分からないくらいよく読んだ。公朝さんの仏像に関する著書はたくさんあるが、同じく新潮文庫の「仏像は語る」「極楽の観光案内」も、軽妙な文章とイラスト・写真付きで読みやすく愛読している。

特に冒頭の「二つの話」は前にも書いたが、仏像写真家を自称する私としても感動の話だ。あらためて掲載するので読んでもらえると嬉しい。

西村公朝さんは、1951年(昭和26年)得度して京都愛宕念仏寺住職となる。美術院国宝修理所長、東京芸大教授を経て同大名誉教授を歴任。紫綬褒章、仏教伝道文化賞、勲三等瑞宝章などを受けた。 生涯に千数百体の仏像修理を手がけ、京都三十三間堂の千一体の千手観音のうち、約600体を修理したことでも知られる。2003年(平成15年)没。 

「仏像の声」より 

見知らぬ若者が150万円の不動明王像を買っていったのです。正直いって驚きました。その日、午前中からその若者はカップルで展示会場にきて、一点一点私の作品を熱心に見ていました。やがてその二人は、5万円のお不動さんの絵皿と、150万円の不動明王像の間を何回も何回もいったりきたりするようになりました。今度は不動明王像をじっと見ています。その若者が受付に「あの仏像を買いたいんです」「ローンは何回まで組めますか」と訪ねてきたのです。

私は聞いてみました。「あんな高い仏像買ってどうするの」突然の私の質問に彼は、大学受験に失敗し、工務店の大工見習いとして働き、現場の棟梁に気に入られ、やっとこの仕事で身をたてていく決心がついたこと、ふと立ち寄ったデパートでこの仏像にであったこと、この仏像を見ていると、なぜかエネルギーが湧いてくる。これからの人生で新たな決意をし、スタートを切ったその心を失わないためにも、この恐い顔で自分を叱り、それでいて力づけてくれそうな仏像を、いつも身近において励みにしたい・・・。このように彼は考えたという。

不動明王のことを何も知らない若者が、このときすでにお不動さんの持つ法力をちゃんと理解し体感していたのです。仏像のありのままの姿、形を素直に見、正直に感じるという見方をする人間がいたのです。この若者の話を聞いて、私は1割値引きしてあげました。

 

同じ展示会で、ちょっとご縁のあった川島明恵さんという人に招待状を出しました。この方は両目が6歳のときから不自由になった30歳ぐらいの女性です。その川島さんが会場にいらっしゃったので、私の最新作である木彫りの阿難尊者の像を両手でさわってもらいました。その像の私の制作意図は、次のようなものでした。

阿難尊者は、釈尊の弟子の中でも特にかわいがられた。彼はまじめに修業し、釈尊のそばで最後まで身の回りのお世話をした。釈尊が少し疲れたといわれたとき、阿難は、釈尊の肉体が最後を迎えていることに気づいた。彼は少しでも長生きしてほしいと、仏界の仏たちに祈った。合掌しながら南無釈迦、南無釈迦と唱えた。その姿は、ほかの人たちにはわからないが、心で泣いていたに違いない。この阿難の心境表現が私の制作意図でした。しかし、私は、川島さんには詳しいことは話さず、この像はお釈迦さんの弟子の阿難さんです、とだけ言って手渡しました。

彼女は、私の阿難尊者の像を抱え、両手の指先で像のあちこちを丹念にさわっていました。そして最後に、「この阿難さん、泣いていらっしゃいますね」と、つぶやいたのです。「泣いている?」私は驚きました。まさに私の制作意図を指先で見破ってくれたのです。そこで私は、「阿難さんてどんな方か知ってる?」とたずねました。すると彼女は「いいえ」と答えたのです。

この二つの話は、読むたびに泣けてきます。

その後、西村公朝さんは、銅像金箔仕上げの「ふれ愛観音」という、高さ1メートルの像を制作しました。目の不自由な方にも、直にさわってもらうことで仏像に親しみ、仏の心にふれていただきたいという発想から始められたものです。「ふれ愛観音」は、新聞などで取り上げられるや、この像の複製の申し込みが、宗派を超えて全国のお寺から殺到したそうです。わたしの記憶では、京都清水寺本堂の一番手前にも、ひょこんと鎮座されていました。

 

私の知人、友人たちは、年一度の年賀状や年一度の宴会などで会うたびに、「仏像やってる?」「最近は何処に(撮りに)行ってるの?」などと、私をすっかり仏像写真家として認めてくれてるような言葉を挨拶代わりにしてくれる。

近頃は鎌倉や神奈川、静岡、東京など近場の寺社巡りが多いが、西村公朝さんの本にあるような仏像の声を聞き、仏像が何を語っているのか、そして仏の慈悲の心に触れながら、これからも仏像に対峙していきたいと思う。



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