鎌倉 光明寺 道元禅師
久しぶりに大法輪閣編『仏教名句・名言集』を捲る。
日日是好日(にちにちこれこうにち)とは誰しも知っているあまりにも有名な言葉で禅語のひとつ。
唐末期の禅僧雲門分偃(うんもんぶんえん)の言葉とされ、『雲門広録』巻中を出典とするが、一般的には『碧巖録』にあるものが知られる。
辞典などを読むと、「日日是好日」とは、毎日が良い日となるよう努めるべきだと述べているとする解釈や、そもそも日々について良し悪しを考え一喜一憂することが誤りであり常に今この時が大切なのだ、あるいは、あるがままを良しとして受け入れるのだとする解釈がなされている。
本書小島岱山氏の訳によれば、「日日是好日」とは、人生には楽な時は殆どなく、苦労の連続であって、そうであればこそその自覚をもって、日々をめげずに真っすぐに、積極的に生きるという意味である。
そして、苦しいこと、つらいこと(病気)、困難なこと、悲しいこと、こうした事柄に出会った時に、占いだの、いかがわしい新興宗教だのといったものに心を奪われることなく、その苦しいこと、つらいこと、困難なこと、悲しいことに飛び込んで、苦しみ三昧、つらいこと三昧、困難三昧、悲しみ三昧になって日々を送るという意味と言える。こうした生き方こそ真実の充実した幸せの日々があろうと書かれていた。
また、この句が「十五日已前は汝に問わず。十五日已後、一句を道(い)い将(も)ち来たれ」という時間の流れの文脈で使われているのを忘れてはならない。すなわち、「日日是好日」のもう一つの意味は、日々、一瞬一瞬に徹して生きる、時間を無駄にしない毎日を生きるとある。
今の私にとって、座右の銘とすべき言葉であるが、なかなか出来ないでいる。
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