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掃除も修行のうち

2017年11月03日 07時22分05秒 | 慈しみと悲しみと

              福井県 金剛院 釈迦如来坐像

昨日、横浜関内の大通公園の清掃活動に参加して来た。家庭裁判所の少年審判前に、保護者と少年に家族と社会との繋がりを、奉仕活動で体験してもらおうと毎月1回行われている。10組の親子が参加、私たち神奈川少年友の会の会員も12名お手伝いさせてもらった。

清掃終了後、家裁に戻って全員ふり返りの発表をする。家裁の調査官も含め大勢の前では、親子とも緊張の面持ちであったが、二度と非行に走らないことを願うばかりである。私のふり返りの話は、禅寺の修行のひとつとして、お掃除は大切な時間であり、何より無心になれることの良さを伝えたかった。

禅寺の修行僧雲水は、朝から晩まですべてが修行ということで、境内の掃き掃除も毎日欠かさず行っている。いまの時期、掃いても掃いても落ち葉が舞い散る。それでも黙々と箒を持って掃いていると、無心になっていることに気付く。

日常の中で何も考えずに、心を空っぽにすることは難しい。人間という生き物は、寝ても覚めても雑念や執着心に囚われてばかりだ。しかし、庭に出て雑草を取ったり、落ち葉の掃き掃除をしていると、本当に無心でいることにあとで気付かされる。

半日だけでも庭仕事で体を動かしていると、万歩計が2000歩ぐらいになることがある。以前は作業の効率を考えて楽をしようとしていたが、鉢を日当たりのいい場所に移したり戻したり、体の動きを多くすることが健康維持にいいと思うようになった。

日常の一挙手一投足すべてが修行であり、仏心に目覚めるが如しで、心と身体の健康にいいと考えることが大切だとしみじみ感じる。

禅師朝比奈宗源さんの言葉を思い出す。

「仏心には生死の沙汰はない。永遠に安らかな永遠に清らかな永遠に静かな光明に照らされている。仏心には罪やけがれも届かないから、仏心はいつも清らかであり、いつも静かであり、いつも安らかである。これが私たちの大本である。仏心の中に生き死にはない。いつも生き通しである」

「生れる前も仏心、生きている間も仏心、死んでからも仏心、仏心とは一秒時も離れてはいない」

 

 



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