裁判所での講演会の帰り、横浜市営地下鉄関内駅から乗車した際、目の前に白い杖をお持ちの全盲のご婦人が座っておられた。
その方のお顔はとてもにこやかで、豊かな表情が窺えた。左手の薬指には結婚指輪がはめられていて、旦那さんも全盲なんだろうかなどと勝手な想像をしたりして、先月はじめフジテレビで放送されたドラマ「愛はみえる 全盲の夫婦に宿った小さな命」を思い出した。
このドラマは、シンガーソングライター立道聡子さんの半生をつづったもので、自作の曲をピアノで弾き語り、地道な音楽活動の末にプロ歌手になる夢をかなえた彼女をモデルとしたものだ。主役は上戸彩さんが演じ、視覚障害者同士の結婚で、生まれてくる赤ちゃんに障害が遺伝する可能性があったために周囲から猛反対にあい、苦難の育児など数々の困難と闘った物語である。ハンデを乗り越えて逞しく生きる姿に、もう一つの実話を思い出した。
聴覚障害者同士の夫婦とその子供の話であるが、夫は私の従兄弟で同い年、三年前膵臓がんで亡くなった。先日奥さんから一年遅れの三回忌の法要の案内状がきて、すぐに携帯メールで出席の返事を出しておいたが、この奥さんとは従兄弟の闘病当時、何度もメールをもらい彼女を励まし続けたことがあった。消せない携帯メールとして綴った記憶がある。
このご夫婦には健常者の息子と娘がいて、二人の結婚式にもカメラマンを兼ねて出席しているが、娘の彼が聴覚障害者で、結婚式の締めくくりに彼女が言ったことば、「私は彼の耳になって生きます」に思わず涙が出てきてしまった。やがてその夫婦に小さな命が宿って間もなく、従兄弟は孫の顔を見ることなく逝ってしまったが、その小さな命は心配していた障害もなくすくすく育っている。従兄弟夫婦とその子供たちと接するたびに、ハンデを乗り越え明るくひた向きに生きる姿に心打たれるものがあった。
昨年9月まで東京晴海に週4日勤務していたとき、JR新橋駅から地下鉄大江戸線汐留駅に向かう途中、時々全盲の男性を見かけていた。ある日、私が階段で躓きかけたとき、斜め前のその全盲の男性が、スイスイと階段を下りて行くのを見てすごく恥ずかしい思いをしたことがあった。健常者の私がまともに歩けなかったのである。全盲の人は、視覚以外の感覚を研ぎ澄まして生活している。そして目の前に座っていた全盲のご婦人のように、心豊かに生きている人も多いだろう。五体満足でも、五感を疎かにして生きてる自分が恥ずかしい。
22/10/19
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