福岡県太宰府市 観世音寺 聖観音菩薩立像
私の父は明治43年生まれ、南方の戦地から引き揚げて郷里浜松で染色業を営むようになる。職人気質の父は、よく働き、よく飲み、よく遊んだ。母とは決して仲がいいとは言えなかったが、晩年は好好爺として口数の少ない人生を送ったように思う。その親父が生前残した言葉が「らしく生きろよ」だった。
平成18年3月2日付地元タウン紙の人物風土記欄に、仏像写真家として掲載されたことがあった。福祉作業所兼レストランでの仏像写真展の紹介も兼ねて、取材を受けたものであるが、この時記者に話した内容から『「らしく生きろよ」を座右の銘に』をタイトルにしてくれた。
「らしく生きる」とは、自分らしく生きるということになると思うが、出来るようでなかなか出来ない。自分の気持ちや考え方を抑え込んだり我慢したりして、一人悩み苦しんだりすることが多いものだ。
ひとつの物事に執着しないで、自然の流れに身を任せて行動する 「行雲流水(こううんりゅうすい)」とか 、誰にも束縛されず、自分が思った通りに行動する「自在不羈(じざいふき」など、「自分らしく」を表す四字熟語もみられるが、親父の言う「らしくいきろよ」というのは、己を知り自然体に生きろということだと解釈している。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます