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母の思い出

2020年05月23日 10時44分07秒 | ハチパパのひとり言

このブログには、自身の日々の感想や詩句などを綴り、家族のことはあまり書かないようにしている。自分だけのことであれば、恥をかくのも批判に曝されるのも自分だからという理由。

けれども母のことは短編小説を書きたいと思うほどわが人生との関わりが深い。しかし、文才のなさと根気のなさから短編は未だ実現していない。

今日はサトウハチローさんの詩集文庫本を書棚から出して、冒頭33編の「母の思い出」を読んだ。中でも『一番苦手なのは』と『母といさかいをしたあと』の2編が自分の体験と重なり繰返し読んでみた。

『一番苦手なのは』

一番苦手なのは
おふくろの涙です
何にもいわずに
こっちを見ている涙です
その涙に灯りが
ゆれたりしてると
そうして灯りが
だんだんふくらんでくると・・・
・・・これが一番苦手です
 
『母といさかいをしたあと』

母といさかいをしたあと
紙に大きく母の名を書き
もんで丸めて くづかごへすてた
むしゃくしゃ腹が おさまらず
くづかごをけとばしたら
丸めた紙が ころげでた
とたんに右手が ぐいとのび
ひろいあげたら 泣けてきた
ひろいあげたら 泣けてきた
 

男兄弟5人の中で、4番目の私が一番母と近かった。小学校の時に一度、母の家出について行ったことがある。母は住み込みの従業員3人と家族全員の食事の世話、炊事洗濯をこなしながら家業の染色工場の手伝いもしていた。

小さい時から両親の喧嘩が絶えず、家出を繰り返していた母という家庭で育った私は、そんな母を可哀そうに思って少年時代を過ごしてきた。母は寅年のせいか気の強いところはあったけれど、男所帯で父親の暴力にも耐え気丈な母と理解していた。

少年時代から母の涙を何度も目撃しているが、私が27歳で妻を亡くし、幼い息子二人の養育のため母と同居してからは、私の苛立ちのせいもあってよく衝突した。そんな時見せた母の涙が一番苦手だった。

ちなみに、父は申年母は寅年、犬猿の仲とは言わずともとにかくよく喧嘩していたが、晩年は穏やかに夫婦の会話をするようになった。偶然だが私も申年、いまのカミサンも寅年、両親と全く同じ干支で結ばれたが、再婚して28年一度も喧嘩したことがない。



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