城山さんは、容子さんがいなくなってしまった状態にうまく慣れることができなかった。ふと、容子さんに話しかけようとして、われに返り、そうか、もう君はいないのかと、何度も容子さんに話しかけようとしていた。そして眠ることが出来ず、食べられず、赤ワインのみで命をつなぐ日々が続いた。
 
妻を亡くして酒に溺れたという点では私も同じだった。3歳と0歳の子どもを残して逝ったS子を偲んで、力強く生きていける状態になく、悲しみから逃避するばかりの酒浸りの毎日だった。そんな親父の背中を見て育った息子たちだが、今はそれぞれ二人の子どもを持ついい父親になっている。
 
城山さんは、妻の容子さんが亡くなってから7年後に間質性肺炎で亡くなられたが、その死に顔は穏やかで、なんとも幸せそうな顔をしていたそうだ。娘さんは言う。「お母さんが迎えに来てくれたんだ」、「お母さんが、『あなた、もういいですよ。この7年間よく頑張りましたね、お疲れ様』って迎えに来てくれたのよ」。29/9/26