NHK-BSプレミアムのアーカイブスで、経済小説で有名な作家城山三郎さんの、亡き夫人とのドキュメントと再現ドラマが再放送された。最初の放送は2008年で、タイトルは「ただ一人、『おい』と呼べる君へ」~城山三郎 亡き妻への遺稿~。
妻亡きあとに渾身の思いで書いた随筆「そうか、君はもういないのか」が心に沁みる。妻の容子さんは肝臓がんで余命半年の宣告を受け68歳で亡くなった。このときの城山さんは72歳で、妻の死が相当堪えたらしい。
46年前、27歳の妻に肝臓がんで先立たれた私は、この実録物語をみていて当時を思い出しながら涙腺が緩む。著名な小説家としての城山さんとは比較にならないし、夫婦が連れ添った年数も断然違うので、感情の機微はかなり違うが、最愛の妻を亡くした男の気持ちはわかる。
城山さんは妻の遺影写真を眺め、触って、家族との旅行や思い出の地を訪ねるときも、その写真を携え景色に向かって掲げて容子さんに見せてあげていた。こうした行為は、真に亡き妻を思う気持ちから自然と起こりうるもので、見ている者にとっても切ない気持ちにさせられる。
城山さんの娘さんによれば、「2000年2月24日、母が桜を待たずに逝ってから、父は半身を削がれたまま生きていた」という。また、母亡きあとの7年間、父は想像以上の心の傷を負い、その大きさ、深さに戸惑ったという。ポッカリ空いたその穴を埋めることは、たとえ家族でもできなかったらしい。
城山さんは、容子さんがいなくなってしまった状態にうまく慣れることができなかった。ふと、容子さんに話しかけようとして、われに返り、そうか、もう君はいないのかと、何度も容子さんに話しかけようとしていた。そして眠ることが出来ず、食べられず、赤ワインのみで命をつなぐ日々が続いた。
妻を亡くして酒に溺れたという点では私も同じだった。3歳と0歳の子どもを残して逝ったS子を偲んで、力強く生きていける状態になく、悲しみから逃避するばかりの酒浸りの毎日だった。そんな親父の背中を見て育った息子たちだが、今はそれぞれ二人の子どもを持ついい父親になっている。
城山さんは、妻の容子さんが亡くなってから7年後に間質性肺炎で亡くなられたが、その死に顔は穏やかで、なんとも幸せそうな顔をしていたそうだ。娘さんは言う。「お母さんが迎えに来てくれたんだ」、「お母さんが、『あなた、もういいですよ。この7年間よく頑張りましたね、お疲れ様』って迎えに来てくれたのよ」。29/9/26
私も昨夜この番組を拝見してしばらく放心状態でした。
愛する人の死を受け入れることができないほどの悲しみと喪失感に胸をえぐられました。
ハチパパさんも、悲しい日々があったことを知り、この映像を見て思いを深くされたことでしょうね。
しばらく立ち上がれないほどのドキュメンタリーでした。
同じ番組をご覧になっていらしゃったことを知り、初めてコメントさせていただきました。
柴犬ハチ君は我が家で飼っていた樺太犬「五郎」とよく似ていて、びっくりしました。
初めての書き込みに長々とお邪魔してしまいましたが、お許しくださいますように。
共感してくださる人がいて嬉しいです。
城山三郎さんのように、亡き妻への強烈な愛情を誰しも保てるかはわかりませんが、作家として、人間として、鋭い感性のようなものを秘めていると思いました。