北海道 善光寺 釈迦如来
親という字は、木の上に立って見ると書くという。
木の上に立って、子供の将来や希望を見据え、いつも子供を見ているということだろうか。
大所高所に立ってということであろうが、言うことを聞かない、反抗ばかりするという子供もいて、イライラしたりすることもある。
子供を見るということは忍耐の連続でもある。
つい最近、未成年の女子大生がお年寄りを殺した痛ましい事件が発生した。小学生の頃から人を殺してみたかったという。
信じられないような恐ろしい少年事件が跡を絶たない。そういう子の親は絶望しか感じられないかもしれない。
どうしてそういう事件を起こすのか、先天的というより歪んだ生育過程に起因することも多い。親による虐待も増加している。
「この子の中に、将来の希望を見ていきたい」というのが親であるはずだ。親はどんな時も、木の上に立って子供の将来を見据え、そして今の子供を見ている。
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