朝日記200305 「猫」から学ぶ「消極主義のきわみ」についてと今日の絵
もう十余年も前の小文をみつけたので 掲載します。今日の絵は「憧憬ケープタウン」です。行ったこともないから、憧憬です。当地の白系画家からすすめられて制作し、昨年 町田市美展に出品したものです。
徒然こと 「猫」から学ぶ「消極主義のきわみ」について
荒井康全070324
漱石の「吾輩は猫である」をいま読んでいる。このなかで猫の主人は 中学校の生徒が主人の家の庭先に野球のボールを拾いにくるのに業を煮やし、逆上したあげく、ついに神経に障り体調をこわしてしまった。主人と旧友で、吾輩が「哲学者」と呼んでいる山羊のような髭を生やした人が主人を諭している場面がある。 自分の思いを立てるために、積極的にうごき、障害を取り除いていく、手前の樹木が目障りなら切るようにすると、こんどは下宿屋が見えてわずらわしい、これも退去させる、そうするとつぎの家が目障りになっていつまでたっても不満が募る。そういう西洋流の積極主義は窮屈であり、いつまでたっても不満足は解決しない。場合によっては死ぬまで、こころが自由になれない。 ここは 古来日本文明のもつ消極主義がいいと主張する。根本的に周囲の境遇 つまり環境は動かすべからざるものであると一大仮説をとる、それに対して、最適なる適合に工夫する、つまりときには消極主義の極みのなかにあることがものごとの行き詰まりを解決するという、そういう大切さを説いている。 そういえば 「草枕」の冒頭のあの命題とつながるようだ。
さて、筆者はなぜこんなことを書いているのかと振り返る。さて、団塊、エイジフリーと活きのいい「積極主義」がもてはやされ、わたくしも踊らされてしまっているが、ふと胸のなかを覗くと べつな思い「消極主義」が交錯してくるようにおもえる。生き甲斐についてあらてめて考えさせらたことになるのかもしれない。
ご参考に「猫」のその部分をしばし およみあれ。
「僕はそう云う点になると西洋人より昔の日本人の方が余程えらいと思う。西洋人のやり方は積極的、積極的と云っている近頃大分流行るが、あれは大なる欠点を持っているよ。第一積極的と云ったって際限がない話だ。 いつまで積極的にやり通したって、満足と云う域とか完全と云う境にはいけるものじゃない。 向に檜があるだろう。あれが目障りになるから取り払う。 とその向うの下宿屋が又邪魔になる。下宿屋を退去させると、その次の家が癪に触る。どこまで行っても際限のない話さ。西洋人の遣り口はみんだこれだよ。」
「川が生意気だって橋をかける。山が気に喰わんと云って隋道を掘る。交通が面倒だといって鉄道を布く。それで永久満足ができるものか」
「西洋の文明は積極的、積極的かもしれないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。 日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのじゃない。西洋人と大に違うとこころは、根本的に周囲の境遇は動かすべからざるものと云う一大仮定の下に発達しているのだ。」
「自然その物を観るのもその通り。 -山があってと隣国へ行かれなければ、山を崩すと云う考えを起す代わりに隣国へ行かんでも困らないという工夫をする。 山越さなくても満足だと云う工夫をする。 山を越さなくとも満足だという心持ちを養成するのだ。それだから君見給え。禅家でも儒家でもきっと根本的にこの問題をつらまえる。」
「いくら自分がえらくとも世の中は到底意の如くなるものではない、落日を回らすことも、鴨川を逆に流す事も出来ない。只出来るものは自分の心だけだからね。心さえ自由にする修業をしたら、落葉館の生徒がいくら騒いでも平気なものではないか、」
「なんでも昔しの坊主は人に切り付けられた時電光影裏に春風を切るとか、何とか洒落れた事を云ったと云う話だぜ。 心の修行をつんで消極の極みに達するとこんな霊活名作用ができるのではないかしらん。」
「とにかく西洋人風の積極主義ばかりがいいと思うんは少々誤っている様だ」
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御退屈さまでした。 亭主白。
おはよう🌞
消極主義の記事、読んだよ。
なんでも積極的なのがいいと思っていたけれど、そうではないという考えがあると知り少し驚きました。
積極的なものは限りがないから自然のままである方がいい、その状態で工夫していくという手段もあるのだなあと考えさせられました😌
とても面白い記事だね、教えてくれてありがとう!
爺さんのわたくし
積極主義Positivism、これで西洋は世界を支配しました。Auguste Conteというフランスの哲学者の考えです。ちょうどそのころの時代背景にあった。主体的に考えていこうという当時の日本人の思いがあった。
久しぶりに漱石さんに触れた。この世は窮屈だ、から離れてて居るので何か新鮮に感じた
有り難う
とても素敵です!我が家では2匹の野良猫がいます。柴犬🐕匹、ゴン太は、購入し、アトムは、捨てられたか、迷って、ウロウロしてて、柴犬のゴン太を、散歩させてたら、ついて来て、仲良くなりました。いつも、2匹、車で、何処に行くのも、連れて行きました。すれ違う車から、いつも、可愛いと言われていました。それが悲しい事に、アトムが、心臓麻痺で、朝早く無くなり、ゴン太は悲しんでアトムの体の上に寝転んで悲しがりました。ゴン太は、近くに、大学の動物病院ができて、喜んでたのですが、インターンの手術の失敗で、正常な、組織を失敗して切り取ってしまい、癌の組織が散らばりなくなりました。獣医病院が近くにできて喜んでいたら、インターンにやらさて失敗して無くなりました。悲しくて、裁判しようと思いましたが、亡くなりました。全て、飼い主の責任です。殺される為に、大学の、獣医学の専門だからと思い、それだけで信じて、殺される為に、連れて行ったと、自責の念と、悲しさてで、長い間苦しみました。
今は、黒と虎二匹の野良猫
塚谷さん
こころにじいんと沁みるお話ですね。
優しさが蒸発している世情です。
しばらく 手を止めてさまざま思いをいたしました。
身の回りから、生活のまわりから見直して
次の時代になにを就活の期にわかいひとに
言い残すかなどに思いをいたしました。
コロナウィルスの問題を化学熱力学のモデルで
解決の道筋を考えております。
いままで理解に至らないできたことが
きゅうに分かりはじめてきたり、
異なる分野へとつなげ、役にたつような
ことを、集中して考えたり、結構有益な
充実した日々になっています。
年金生活者にとってはそれなりの
日々です。
市美展は、「ワルシャワ暮色」が手応えがありました。
弟は いままでで一番だと褒めてくれました。
7月には、また横浜銀行で展示をします。
音楽紙芝居・音楽絵画原画展 第4回ですね。
さくらの時期ですので、あたらしいパステル絵の具を
仕込みました。
ラジオ体操も朝参加して身体の調整はよろしいです。
そして 食事もおいしく、すべてに感謝です。
また、お話をしてください。
ゴン太も相棒を失って可哀そうですね。
よろしく。
また書きます。
荒井