朝日記231011 片山哲とはどんな人?とわたしの思い出と今日の絵三つ
絵はともだち、ゆきのよるです。
片山哲とはどんな人?生涯・年表まとめ【性格や息子、政策内容や死因についても紹介】 - レキシル[Rekisiru]
片山 哲さんに関してきわめて公平にしてまた愛情を感じる記述です。片山さんの政権の昭和23年は私は小学校4年生でした。終戦で食べるものに事欠き、学校はガラス窓は紙で補修され、机も二人かけを三人かけで授業を受ける状況でした。父は電機会社にあって労組の初代の委員長であり、この年に社会党から川崎市議に当選しています。その関係で、わが家は、片山さんを尊敬しており、イギリス労働党を範とする社会主義そしてキリスト教的な倫理をもつこの方にこれからの日本人の在り方を学ぶ想いでした。政権は、GHQ支配とはいえ、その後の日本の基本枠組みを決定づける法制をすすめ、こどもこころにもこころ踊る新生日本をおもわせたものがあると思います。政治力学からみれば議員数が過半に満たず、内閣のなかみはガタガタであったことを後に知りますが、短命であったことにに落胆をおぼえました。「グズ哲」というあだ名になにか不可解なもの、そしてそのあとの政権が「反動」とよばれた日本の政治位置回転の不安定さを肌に感じたことを思い出します。しかし、わが家の片山さんへの敬意はその後も底流で生きていたとおもいました。この記事をみながら、秀才で、東大法学部で、大抵は役人か大企業にて自らの将来を選ぶであろうなか、一円料金の社会派弁護士として、実践的キリスト教伝道を社会改革運動という形で無産党に身を投ずるというのはなみの人ではない。明治開国以降、日本にはこのような出世主義と一線を画す高潔なる人たちの群像があったことをもっと知っていてよい。また、誇りとして称揚してよいと思いました。そういえば高校時代に学校が藤沢にあり通学の湘南電車二等車の戸だまりに乗車すると、あとから、しずかに乗車してくるハットの紳士があった、あっ、片山さんだと、ひそかに身に緊張を感じたことを昨日のようにおもいだします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます