Yassie Araiのメッセージ

ときどきの自分のエッセイを載せます

朝日記180601 音楽紙芝居余話と今日の絵

2018-06-01 10:17:41 | 自分史

朝日記180601 音楽紙芝居余話と今日の絵

おはようございます。北風がさわやかな快晴の朝です。

(薔薇の垣根)(朝の堂宇)と(静かな港」)

(薔薇の垣根)

徒然こと

ラジオ体操の帰りに、岡の上のいつものお寺で堂宇を写生しました。本殿の脇にある赤いトタン板葺きの屋根の薬師堂なども変哲もないものですが、色彩選択の焦点として「赤」を意識してコンテを走らせると不思議な世界に変わります。それがおもしろと思っています。 きょうは、赤のクレヨンで直接書きました。 堂宇の飾りである五三の桐の細工なども、描くとなるこれもまた違った世界であることをしります。こんな調子で朝の一時をすごし、朝食をおいしくいただきます。おもわず手を合わせます。

(朝の堂宇)


 体操のときの仲間の婦人から、松谷みよ子という童話作家の本を持たされました。「ふたりのイーダ」という本でした。 母子家庭で、ときどき広島に住む祖父母の家にあずけられます。古い城下町です。小学4年生のその子が、幼い妹とともに、廃屋になった屋敷で、不思議な体験をするというお話が展開します。 「私は子供が苦手です」とうっかりうそぶいたので、反省してそっとすなおに読んでみました。 やさしく語りかけてくれる文章がすぐれ、ふと、母親や祖母の腕の懐かしさを感じました。 語り部は子供のこころの推移をそうあれかしという具合に語りますが、この子からすれば、その年齢でどうであったのかと思いはします。少年の心的状況を言語化すれば、そうであるであろうと読者は入っていきます。そして、優しさがまことに心地よい。そして、ふとおもいました。このひとの童話というのは、年寄の癒し、生まれ来し方追憶のための子守歌なのではないかということ。語り部の思想背景などは別において、いまは、このくらいに留めます。水あめを買って見せてもらう路地紙芝居のように区切り付けにて拝読しています。語り口がこちらの意識のなかで、語り始めたような錯覚さえ覚えます。おう、そういえば、この話のなかで「子育てゆうれい」ならぬ、’子育て河童’の話がでてきました。

 ”セントラルパークの犬のクーちゃん”と自己紹介される婦人であるYさんは、先回のたのしいトークと実演に来られたかたです。この方が、第2週展示の目玉とした、ポスター絵画「しずかな港」についても見に行ってくれて、メモを残してくれました。押しつけがましくならないぎりぎりの線で表現した「当事者側の感覚ですね」といって理解を示してくれました。絵のなかの困惑したような表情、あれなんだろう?この若い婦人がやはり目に残ったそうです。 日本のおとぎ話からアンデルセンに連続してはいる文脈は、言葉がなくても、言語が異なっていても、なにを語りたいかがわかる。 日本の紙芝居の力を予見するものである主旨のことを述べておられました。
 昨日は、このYさんが立ち寄られたあと、絵の展示替えをしました。第三週展示に入りました。好評の十五夜の団子なしの月見の絵から、団子付き盛りものごちそうの同一図柄ものにそっと替えておきました。きょうは絵の弟たちが、見にきてくれます。12日の実演とトークの下打ち合わせをします。(静かな港」)

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