朝日記200310 徒然こと 古いノートから「 わたしの休日 ~賛美歌はたのしい」 二題と今日の絵
今日の絵は、「さらわれたあねご」 と 「長靴をはいたねこ」 二題です。
徒然ことは以下二題です。おたのしみください。 雑誌投稿せずに、十余年前に書いてそのまましまってあったものです。
徒然こと1 古いノートから 「死んだ人はお経やお祈りを聞くことができますか?」2007
徒然こと2 古いノートから 「 わたしの休日 ~賛美歌はたのしい」 2007
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徒然こと1 古いノートから 「死んだ人はお経やお祈りを聞くことができますか?」
~高橋源一郎 「ニッポンの小説 百年の孤独」を読んで~
荒井康全 2007/2/2 ノートA2173
このなかに「死んだ人はお経やお祈りを聞くことができますか?」ということで
50ページに近いエッセイを展開している。 ある週刊誌での小中学校生徒への調査結果で、YESと答えた結果を上げている。小学校低学年 40%強、小学校高学年 35%強、中学校 33%程度で、学年層別であまり変化がない結果になっている。 地域の図書館の新刊棚に この本のタイトルがすなおに目にはいった。日本人の思考と表現の仕方に やはり興味があった。特に 南米の文豪ガルシア・マルケスのあのふしぎな「百年の孤独」の発想をつかって そおっと日本の明治の近代化の源流点を見ようする。これまで 当たり前のこととしてまかり通っていることに対して一撃を浴びせようという魂胆のようにおもえたからである。 「百年の孤独」ということばが私をして本能的に立ち止まらせたのかもしれない。
日本の小説は恋と死しか テーマにして来なかったという。 ところが事実に対する特に「死」に対する観察眼が決定的に欠如して また、把握が大雑把すぎているという。
この点 詩の存在と小説の存在領域を分けていて相互の違いについてはふれていない。事実を見ていない、分析していない、考えていないというのである。 しかし、日本人の得意な写生が事実表現というなら かぎりなく事実的である。あるひとが強い意識のはたらきがあって 写生的に意識を表現するのが現代俳句であるとおもうと このひとの主張は言い過ぎかと感じるが、しかし、それでもなお写生的事実、そこから普遍への切り込みが弱いというのかもしれない。 さらに著者は、このような、思考次元から「死んだ人はお経やお祈りを聞くことができますか?」の課題に切り込むことができるかということを問う。 これは小説の本質ではないかとも言う。
これまで小説をいとなむ誰もが切り込んでいないと主張する。 著者は、そのなかで、古井由吉**の「野川」を類まれな実験であると高く評価している。自分が死んだらどうなるかについて生きている自分には 論理的に不可知であるが、限りなく死にちかいところで自分を観察することはできる、古井はそれをしているという。 それを論じつつ、日本の小説は、なぜ 本質に切り込まないのかと彼は問う。そして、その根源として、近代文学の表現法が「二葉亭」の口語体に準拠しているからという。 人はものごとを見たり、感じたり、考えたりするときに もともと、この文体の形で思考をしているのではないのに この形にはめてしまう、それを強制することで 思考のダイナミズムを失い、結局 表面の状況をとらえるのみで、本質に及ばないと主張する。もっとも現象の遷移境界(特異点)近傍こそ本質をあらわすという現代物理学の教えもあるがここではやめておく。
筆者は以前に、古井さんの夢の中で喧嘩で上司と立ち回りをしているところで目をさますというのを昔読んだ記憶がある。 そして、その立ち回りをしている自分は何歳であろうかと自問するのが、いまでもおもしろいとおもっている。 ところが、この人の小説となると、冗長で退屈であることを覚えている。ただ、はっきりしているのは 自分自身を観察の対象としていることは間違いないようだ。高橋氏がいうように 日本の近代文学なるものが、なにかおしゃれした口語文体の故に表現法として隔靴掻痒で本質を表現しえないとみる。 古井氏とはどこにちがいがあるのか? そう思ううちに、ふと、思った。 古井氏の場合 実質的に 「僕はxxxをyyする」をとっているのである。 そう思って、件の二葉亭のテキストをみると 多く主語がない文章であることに気づく。 これ自身 味わいがあるのであるが、これを英文に直訳すると 多分 なにを言おうとしている文章かわからなくなること必定であろう。
「There is xxxxx」の形の文章が、かぎりなく続くであろう。武蔵野の自然があると記述しても、だれが見たのか、なぜそう見えたのかの視線が語られない。 むしろ、そこに問題の根源がありそうにおもいつつ、この本を閉じた。 それ以上は、彼は 語っていないようにおもったからである。 もっとも、貸し出し期限が明日に迫っているためもあった。 ところで、あなたは「死んだ人はお経やお祈りを聞くことができますか?」
*高橋源一郎 「ニッポンの小説 百年の孤独」 文芸春秋間 2007/1
**古井由吉氏、2020年3月10日3月に他界された報あり、ご冥福を祈る。
(追記)古井氏は、自分の思想の入れものとして文体、それは書く者が定義して、それに座して表現しないとものごとは形骸化した内容となり、ほんとのものの表現に至らない。特に文学はそうであるという姿勢であったという。(島田雅彦「古井由吉さん追悼 地続きの世界 また会える」 読売新聞 2020年3月3日より)
徒然こと2 古いノートから 「 わたしの休日 ~賛美歌はたのしい」
荒井康全 2007/4/30 ノートA2173
五月の連休にふとしたことで キリスト教の聖公会の聖歌をうたう催しに参加した。
今般、聖歌集があたらしくなり、普及する時機であるのであろう。東京タワーのある丘の聖アンデレ教会にその催しがあった。 司会の若い司教が、腹話術の人形で「ゆりかごから み国まで」と題して 恋人との出会い、告白、洗礼、結婚、家庭、そして別れまで 聖歌17曲を以ってドラマとし、聖歌隊が歌い、みなが歌うという展開でひとの一生を経る。
「やさしき息吹の くしき恵み」(聖歌540番)は 例のアメージンググレース。 別刷りもあって英語でもうたわせてくれる。さらに、「沖縄の磯に 十字架を立てて」(聖歌423番)は 作曲者の下地薫さんの三味線の伴奏で歌われる。反戦フォークソングそのままとしてあらわれる。 キリスト教もかわろうといるのかもしれない。 そして 「すみわたる大空に」(聖歌350番)(注)で、幼き日の娘の部屋にあったオルゴールの曲にめぐり合う。
‘まあ、なんとたくさんの星だろう’という詩のドイツ民謡からのものであったことをはじめて知ることになる。 黒地に赤水玉のビロードの布につつまれ、大人の手のひらにおさまる大きさのものであった。 こどものベッドにつるして、ナイロンのひもをぐうっとひくと、その子が寝付く数分の間 チロチロとやさしく奏でいてくれた。ドイツのラーデンブルグというマンハイムの郊外の町に一週間ほど家族で滞在したことがある。もう四十年も昔、アメリカの留学の帰りであった。 大学で一緒だったドイツ人の友人のすすめで、彼の夫人の実家に居候した。わたしの家内は引越しの疲れがでて、安心したのかその家で寝込んでしまった。その家の夫人は実によく看てくれ無事回復しえたことをいまも思い出しては、その度に感謝する。
オルゴールは、まだ二歳だった娘にその町のちいさなおもちゃやで買い与えたものであったが、もう二十年もまえに、ナイロンの糸もさすがに疲れて、物は目の前から消えたが、チロチロのメロディーをなつかしく思うものであった。
聖歌の催しは 早宵の礼拝への続くが、気まぐれの参加者の特権で 第一部で辞し、帰路に着いた。 晴れた連休、東京タワーには たくさん家族連れがバスを連ねてきていた。わたくしも 携帯カメラを中天に塔を容れ、一枚東京記念のシャッターを切った。みごとに晴れ上がった空であった。
賛美歌をうたいにいくや、みどりの日
(注)German Folksong‘Weisst du wieviel Sternlein stehn’, by Johann Wilhelm Hey(1778~1854) Twinkling Stars 聖公会聖歌第350番
以上
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