Yassie Araiのメッセージ

ときどきの自分のエッセイを載せます

朝日記240705  (その5) 5.プラグマティズム 「翻訳チャールズ・サンダース・パース」

2024-07-05 10:37:38 | 研究論説

 

朝日記240705  (その5) 5.プラグマティズム 「翻訳チャールズ・サンダース・パース」

朝日記240705  (総表紙・目次)「翻訳チャールズ・サンダース・パース

  1. プラグマティズム Pragmatism

 

主な著書: プラグマティズムPragmaticism, プラグマティズム格率 Pragmatic maxim, andおよび真についてのプラグマティック理論§Peirce  Pragmatic theory of truth § Peirce

いくつかの知られている報文と講義は以下である

 

  1. 信念のかため The Fixation of Belief (1877)

 

  1. われわれの理念を明確にする方法How to Make Our Ideas Clear (1878)
  2. 機会について宣言The Doctrine of Chances (1878)
  3. 演繹の確率性 The Probability of Induction (1878)
  4. 自然の秩序 The Order of Nature (1878)
  5. 演繹、帰納、そして仮説 Deduction, Induction, and Hypothesis (1878)
  • プラグマティズムに関するハーバード大学講義The Harvard lectures on pragmatism (1903)
  • プラグマティズムとは何か What Pragmatism Is (1905)
  • プラグマティシズムの案件 Issues of Pragmaticism (1905)
  • プラグマティズムPragmatism (1907 MS in The Essential Peirce, 2)

 

 

Peirceのプラグマティック思考のレシピはプラグマティズム pragmatismとよれ後にいわゆるプラグマティック格率pragmatic maxim.でのある版ではプラグマティシズムpragmaticismと再帰的強調されてよばれた。これは、彼の強調的な再回帰 emphatic reiterationsのひとつである。 

practical bearings[1]、それはあなたが意味する概念 conception の対象objectsをあなたが概念 conceive するものであるが、なんらかの働き(効果)がそのpractical bearingsを概念的conceivably に持たしめるかもしれないような、その働き(効果)とは一体何であるかを考えよう。   

そうすれば、それらの働き(効用)の概念性conceptionは、その対象についてのあなたの概念性conception の全体the wholeである。[2] 

ひとつの運動としてプラグマティズムは1870年代の初期に始まった、それは the Metaphysical ClubでのPeirce、William James, 等のなかでの討論であった。就ちゅう、Jamesは、Peirceのいくつかの報文を "The Fixation of Belief" (1877) として、特に "How to Make Our Ideas Clear" をプラグマティズムpragmatismの基盤的なるものとし認めた。[109] 

 

Peirce (CP 5.11–12)は James (Pragmatism: A New Name for Some Old Ways of Thinking, 1907)同様、プラグマティズムを実体のある優しい態度のものとして見た、それは哲学的にであるが,そして問題について実りある思考をするためのあらたな信頼のおける方法として内容を磨いたのである。

かつ現実的のいて、これらの用語のいくつかの意味において差異をもつものであった。それは彼自身の哲学的ムードの好みからくるものであった。

1905 年にPeirceはプログラマティシズムpragmaticism という名称をあみだした、それはもとの定義を正確に表すためでありJames' および F.C.S. Schillerの流れと合流する旧称"pragmatism"との整合がある。それは旧称は無用の攻撃で、誤って引き合いに出されている状況によっている。

 

それでもなお彼が指摘する1906年の原稿でかれはJamesとShillerとの違い、そして1908年出版では彼のJamesとの違いを 、文芸作者Giovanni Papiniのプラグマティズムの非定義性の宣言と同様にみるものであった。

Peirceは如何なる場合でも彼の見解をつぎのようなものとみなした、真truthは不動で無限immutable and infinityであること、それは他のpragmatistからの反対にしてもである、しかし彼は他の案件で彼らと連合を組んでいた。[110][circular reference] 

Pragramismはその信仰が、誰がその行動を準備したかに依ることという理念をもって始まる。PeirceのPragmatismは対象類の概念の明確化の方法である。

それはある対象の概念はその対象の効用の概念を等価させる、その効用とはいま考えている実践のための概念をも包含して、さらにその一般的拡張への対象の概念である。

それは概念上の混乱が起きたときにそれを選別する方法である、たとえば、(ときに必要とされるにもかかわらずが)形式としての未だ実践な差異をつくっていない場合である。

かれはプラグマティズムpragmatism と統計的原理statistical principlesの双方を科学的論理の観方として形式化したのである。彼の著作「科学論理の事例」シリーズがそれである。

 

 

第二のものは、我々の理念を如何にして明確にするかであり、Peirceは概念の明確性に三つのグレードを論じたのである;

  1. 未だ分析されずかつ展開されていない場合であっても、その概念が身近でかつ使えるような明確さにあるもの Clearness of a conception familiar and readily used, even if unanalyzed and undeveloped.
  2. ある概念が、その部分が明確であることによって、論理者がその理念を「区別できるもの」"distinct"ことによって、明確になる、

すなわち、なにがそれを利用できるかの分析によって明確にされるのである。他ではKantに呼応して、Peirceは類似した区別定義を規範"nominal"と呼んだのである。(CP 5.553)

 

  1. その対象の認識できる効果を認識できる実際性を含む明確さによる明確さ、困難なる課題に関して特別に意味ある理由を与えてくれるような場合である。かれはプラグマティック格率pragmatic maximと後に呼んでいる。

 

 

概念を如何に明確にすう例を使うことにより彼は真と実についての概念を所在化addressedした、これは一般的には理性化の先行設定presuppositions of reasoningの課題とした。

明確性の第二グレード(規範グレード"nominal" grade)では、彼は記号signの対象objectへの対応としての真truthを定義したが、これはそのような対応性のある対象としての現実性である。真と現実が君、私またはなにか実際のものがなんであるかとは関わりなくしかるべきコミュニティでの探求者community of inquirersが思考するような明確性である。

明証性の第三段階(プラグマティック、実用指向段)において、これは必要にして制約されたステップ(needful but confined step)のあとであるが、彼は早かれ遅かれ到達するであろうその意見としての真truthを定義した。

しかし、事実はその最終的意見にいたるにはまだ程遠く―たとえば帰納則での長期にわたる有効性のような、何か他の理論的な議論においてのアッピールに依存することは避けられない。[111] 

 

Peirceは次のように論じた;真とその現実性についての独立性と発見性independence and discoverabilityについて論じる場合でさえ、そのような独立性と発見性をもつ真が存在すると先行想定presupposeがあるべきであること、それはとくに議論のまな板のうえにある設問案件についてであった。  

Peirceは言う、概念のもつ意味conception's meaningというのは合理的指向の一般的モードすべて"all general modes of rational conduct"においてなり立ち、  それはまた概念の「受け入れ」によって内包impliedされるのである―すなわち、もしひとが何よりもまず、その概念が真であると受け入れたとしよう、するとそこでその概念が真であると受け入れたひとすべてが、それが合理的指向必然にして一般性のあるモードであるために、ひとは何を獲得することが出来きることになるか―そのような必然的にして一般的なモードこそが全体的な意味あるとしたのである。  

 

 

かれのプラグマティズムは概念性意味conception's meaningと知的作為intellectual purport,とを等しくequateするものではない、そのようなものは概念的な便益か概念性それ自身との対価を伴ってのものなのである。 

それは単なる見かけmemeであり(または、プロパガンダpropagandaといっておこう)、その真なる存在its being trueの見解perspectiveの外にあり、また概念ということでの一般性generalがあることになるが、その意味は実際必然性actual consequencesと等価meaning equatedであるというものではない、またその概念性や真価の内容を開発upshots corroboratingしていくようなものでもないのである。    

彼のプラグマティズムは中途半端なプラグマティズムとはなんら類似するものではない。

"vulgar" pragmatism "とは功利的mercenaryな、あるいは政治的な優位をもとめる抜け目ない  権謀術数者Machiavellianがやる探索を意味している。

それに代わって、プラグマティック格率pragmatic maximは彼のプラグマティズムの核芯heartでありそれは実験的精神の反映 reflection[112] の方法であり、概念性の宿す確信conceivable confirmatoryと(状況の)非確信disconfirmatory circumstancesとの意味での概念性conceptionsに至るのである―説明的仮説explanatory hypothesesの形成、そして使えるuseものとなるための教導、そして証明性への未達の修復にいたるための一時退避的な場hospitableをあたえる方法なのである。[113]  

 

[1] practical bearings 真理の実用的意味。哲学的な概念の哲学的分析を行うことは、その実用的な意味を示すことです。この観点から、真理や概念の実際的な適用に焦点を当てます2(検索「practical bearings」、Copilotから)

[2] 原文「Consider what effects that might conceivably have practical bearings you conceive the objects of your conception to have. Then, your conception of those effects is the whole of your conception of the object.」

 

朝日記240705  (総表紙・目次)「翻訳チャールズ・サンダース・パース


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 朝日記240705  (その4) ... | トップ | 朝日記240705  (その6)6... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

研究論説」カテゴリの最新記事